2007.05.14 清水という街

 昨年4試合やって1回も負けなかったエスパルス戦ではありましたが、残念ながらよい所も余り無く、1対3で負けてしまった。

 清水と言えば、昨年のサポーターの企画したアワードでも、好きなアウェイの1位に選ばれたと記憶しているが、確かにマグロうまい、桜えびうまい、生シラスうまい、スタジアムグルメも充実している方だし、なんと言ってもサッカー専用スタジアムである日本平は迫力満点。納得の評価だし、自分にとっても一番好きなアウェイでもある。

 ただし、個人的には別の理由もある。

 自分が高校時代、毎日泥だらけになってボールを蹴っていた頃、

“静岡を制す者は全国を制す”

 高校のサッカー界で、まだこんな言葉が使われていた。当時の高校サッカーは、静岡では清水東全盛で、自分のひとつ年上には長谷川健太、大榎克己、堀池巧のいわゆる三羽ガラス、その上は青島、望月、さらのその上は反町康治がいたし、自分のひとつ下には1年坊主のセンターフォワード武田修宏がいた。(その頃、江尻さんや平岡さんはまだ鼻水たらしていたに違いない)。当時、自分の耳に入って来る清水の情報は“清水の子供は野球すると叱られるらしい”とか、“雪が降らないから1年中サッカー出来るらしい”(当たり前)とか、“じーちゃんばーちゃんまですげーサッカーに詳しいらしい”とかいって、あんないい選手がどんどん出て来る清水ってどんな街なんだろうって、想像だけでイメージがどんどん膨らんでいた。

 その頃の新潟といえば、神田三兄弟擁する新潟工業が図抜けていたものの、年代別の代表キャンプに勝夫先生が行ったときに新潟から来たと言ったら、コーチに、新潟にサッカーがあったのかと言われた(本人談)という状態。

 さらに自分達のサッカー事情と言えば、一言で言うなら

 妄想。

 とにかく今では信じられない程情報が無かった。当時まだ月刊誌だったサッカーマガジン、サッカーダイジェストと、たまーーーーにテレビで放送されるゲームくらいなもんだ。文字や写真で海外や日本リーグでどんなサッカーをやっているのか想像するのだ。

なんかヨーロッパじゃサイドバックがセンターリング上げるのが普通らしいよ。

まじ? じゃあカバーリングは誰がする訳?

センターハーフじゃね?

サイドバックが攻撃参加する為にゲームメーカーがカバーリング行ってたら本末転倒だべ?

そうだな。。。。。

(しーーーーん)

それにしても奥寺のサイドバックってありえねーべ。

だな、ドイツ人サッカー分かってねーな。

まあ、分かってねーのは絶対ウチらだけどな。

確かに。

(しーーーーん)

なんかさ、俺ら勝手に色々解釈してるけど、例えば新潟工業の沢村監督とかにそういうこと聞いたりすることってできねーのかな?

馬鹿にされるだけだべ。

うん。

(しーーーーん)

おい、静岡学園のヤツが中退してブラジル行くんだってさ。

まあ、清水東じゃなかったら全国大会も無理だろうしな。

それにしてもブラジルて。

馬鹿な奴だな。

はっはっはーーーーーーー

 数年後、その馬鹿な奴は  日本をワールドカップに連れて行く  と言ってブラジルから帰国してきた。
 (勿論その馬鹿な奴とは  KAZU  のことだ)
 何年かぶりにひとりで個人的に  (しーーーーん)  した。

 そして遂に、部室で雑誌片手に的外れな会話を真剣にしていたあの頃から、丁度20年の時を経て清水と同じ日本のトップリーグまで這い上がってきたマイチームのサポとして、自分は清水の地を踏んだ。

 感動した。
 嬉しくてあっちこっちうろうろした。

 とにかく新潟と違って サッカー=エスパルス の要素がほとんど無い。ほんと、和菓子屋のおばあちゃんから、寿司屋のおじちゃん、土産屋のおばちゃん、魚屋のにーちゃん、その辺歩いているクソガキまで、ちょっと話してみるだけでほんとにサッカーに詳しい。別にサポじゃないと言いながら、エスパルスのサッカーについてどんどん説明してくれる。自分のサッカーが忙しくてエスパルス見に行く時間なんて無いと言いながら、監督を健太と呼んで叱咤激励する。しかも我々新潟のものに敵対心や馬鹿にする所もない。更には新潟に来ている清水出身の人々なんかも完全にウチの子扱いだ。

 試合も食い物も楽しみだけど、清水の人達と触れ合うのがもっと楽しみで、あれから清水との対戦があれば毎回欠かさず行っている。

 新潟が早くあんな風になるといいな、なんて思いながら。

2007年5月14日 14時32分 村山 友康

PROFILE of 村山 友康(むらやま ともやす)
1967年生まれ。十日町市出身。神田先生が新潟に帰って来たということで、市陸で初観戦。元々浦佐の温泉旅館”てじまや”の主人とその周辺の人達が応援に出かけるために出していたバスを他人である村山が途中からバスジャックに成功。通称「魚沼バス」としてプロデュースし、アルビの観客動員に貢献している。ちょっと堅気には見えない顔をしているのが難点だが、魚沼周辺でアルビの友達を作りたい人は勇気を持って話しかけてみよう。(浜崎一さんより)