2006.06.19 4年前の出来事

 W杯。いやはや大変なことになってきた。日本中のサッカーへの関心が昨日で終わらなくてよかった、なんて変なところで僕は安堵している。

 しかし、まだ決勝トーナメントへの可能性は残っている。ジーコだって中田英だって、ブラジルは絶対に勝てない相手じゃない、と言っている。これだけの経験者が言っているのだ。そうなのだろう。それがW杯。それがフットボール。セ・ラ・ヴィ。そして信ずるものは救われる。日本代表を、選手を、最後まで信じよう。

 4年前の日韓W杯のとき、僕は新潟に住んでいた。あの雰囲気は今でも忘れられない。東京でももちろん盛り上がってはいたが、東京にW杯の会場がなかったこともあるし、それよりも街が大きすぎることもあって、盛り上がりも幾分希釈(きしゃく)されてしまっていた。新潟のような都市のサイズの方がW杯の雰囲気を楽しむにはよかったのではないか、と思う。コンフェデレーションズカップの失敗も乗り越え、すばらしい運営で世界規模のイベントを乗り切った新潟。街中インターナショナルな雰囲気が満ち溢れ、サッカー一色だったあのときを、僕らは胸に刻み込んでおこう。新潟は間違いなく日本で一番幸せな街だった、と僕は信じている。

 イングランド戦の前の日、家族で某ホテルにミーハー丸出しでベッカムを見に行った。東京にいたらそんなことをやろうなんて思いもつかなかっただろう。日本でスーパースター並みの扱いを受けご機嫌のベッカムは、必ずバスの窓を開けてファンサービスをしていた。そしてイングランドは勝ち、次の試合の地、静岡へ向かった。

 イングランド戦の次の日の朝、信濃川沿いのやすらぎ堤でテントを張るイングランドサポーターに僕は会いに行った。自転車でフラフラと家族で出かけて行った。朝の陽光を浴びるイングランドサポーターに手当たり次第に声を掛けた。彼らがスタジアムいっぱいに貼り尽くしたイングランド国旗「セント・ジョージ・クロス」を持ち、これは僕のお母さんが作ってくれたんだ、と自慢げに話をしてくれたふたり組がいた。そのセント・ジョージ・クロスには、遠い国ニッポンへ行けない彼の友人たちが旗いっぱいに寄せ書きをしていて、これは僕の幼馴染なんだとか、こっちは高校時代の友人なんだとか、一つひとつ丁寧に説明してくれた。

 陽気なアイルランド人数人が、僕がたまたま食べていた新潟駅近くのラーメン屋に入ってきた。外からあのグリーンのユニフォームがいると分かると、仲間が少しずつ入ってきた。僕がラーメンを食べ終わる頃には、そのラーメン屋はすっかりアイリッシュパブになっていた。

 チケット騒動に揺れる日本人サポーターは、海外発売分の残席がインターネット販売にかかったとき、最後の望みをかけチケット争奪戦を繰り広げた。休日だった僕もパソコンにしがみついていた。FIFAのサイトにアタックすること数時間(苦笑)、ようやく僕もビッグスワンで行なわれるクロアチア対メキシコ戦のチケットを家族分ゲットすることができた。席はメキシコサポーターエリアのど真ん中。「メヒコ、メヒコ、ラーラーラー!」の大合唱のなか、僕はこの記念すべき世界的イベントに参加する人間のひとりになれた気がした。もちろん試合内容も素晴らしいものだった。

 僕ら家族の席がメキシコサポーターのエリアだと分かっていたので、友人からもらったメキシコ土産のソンブレロ(帽子)を幼稚園児だったウチの娘にかぶせてスタジアムへ行った。試合終了後、スタジアムを出て帰りの道すがら、小さい体に大きなソンブレロをかぶっていたウチの子供に、メキシコサポーターの男の子が話しかけてきた。その男の子もソンブレロをかぶっていた。身振り手振りでそのメキシコの子供はウチの子供に一生懸命話しかけていた。どうやら、その子供は帽子を交換しようと言っていたのだった。そして、交渉が成立しその場で交換することになった。サッカー選手が試合終了後ユニフォームを交換するように、子供同士がインターナショナルなコミュニケーションを交わした瞬間だった。

 僕のW杯の思い出は他にもある。だが、これは僕だけが経験したことではない。新潟に住む多くの人が様々な経験をし、またそこには多くのドラマがあったことだろう。そんなすばらしい経験を積んだ新潟という街は、そのとき、サッカーを文化として根付かせる下地が出来上がったのだと思う。

 そしてこの様な経験を糧にしつつ、新潟は、反町前監督が完結させたおとぎ話の続編を完成させていくことになる。だが、僕らはその続編を完結させることに無関心ではいられない。むしろ積極的に関与していく必要があるのだ。

2006年6月19日 篠崎 徹

PROFILE of 篠崎 徹
しのざき とおる 1966年生まれ。東京都出身。W杯やアルビレックスJ1昇格など新潟サッカー界で一番オイシイ時期を新潟で過ごす。2004年に東京へ転勤。以後アウェイでのアルビレックスを盛り上げようと日々奮闘中。