2007.07.23 もう一度みんなで、がんばろう

 2007年7月16日 新潟県を襲った大震災。

 2004年10月に起きたばかり、だれもがこんなに早くまた大地震が起きるとは思っていなかった…。地震の話で思い出したことがあります。

 時間の経過が3年弱と短いから2度目と思っていらっしゃる方が多いと思いますが、1964年に新潟はマグニチュード7.5の大地震に襲わています。私はそのとき幼稚園にいました。いまだにそのときのこと、地震が起きたときのことを鮮明に覚えています。

 私は学校町に住んでいました。津波が来ると近くの駐車場に避難。少し家が傾き、自衛隊の給水車に母と兄と並びました。父は建設会社のため復興工事で出っぱなし。今のニュースの光景と変わりありません。地震のショックで無口になった私を心配した兄(当時小学校2年生)が、母に、「厚子がしゃべれなくなったから、お話できるお人形を買ってあげて」と、お願いしたそうです。

 “お話できるお人形”。記憶にある方も多いと思いますが、ボタンを押すと「おはよう」「お腹がすいた」なんて話す人形です。当時は高価なものだったと思いますが、普段兄弟喧嘩ばっかりしている兄妹、兄からの優しい言葉に感激した母が、へそくりをはたいて買ってくれました。それから私は話ができるようになったそうです。(今ではでかい声を張り上げるゴール裏のアルビ大サポですが…)

 地震は人の心に大きく影響します。

 前回の中越地震のときに、私は逆に被災されたご家族からすごい勇気とアルビレックス新潟があるからがんばれるという体験を聞きました。それから毎試合その家族と試合を見ています。

 思えば、2004年再開後のビッグスワン

 まだ新幹線が不通だったため、関東サポだけでなく、対戦相手のFC東京サポが、調布市民の方々が、バスを仕立ててやって来てくれた。新潟サポと一緒に「がんばれ山古志」のコール。アルビレックスだけでなくJリーグ各チームが支援してくれたこと、感謝でいっぱいです。やっぱりつながっているんですね。

 自分の幼少のときの記憶と2004年の地震、今回の地震と災害のたびに思います。何が自分を元気にしてくれるのか。それは家族であり、町内の方々であり、会社の仲間であり、すべてが「人」とのつながりなのです。

アルビレックスがあるからがんばれる。アルビレックスと人とのつながりが一番の復興への足がかりなのだと思います。話すことによって元気になる。応援することによって元気になる。一体感のなかにいる、スタジアムで初めて会った人と同じ気持ちにアルことによって元気になる。応援が、選手に向けてだけでなく、「自分を」「仲間を」「新潟を」元気にしてくれることは間違いありません。

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 このたび中越沖地震で被災されたみなさん、謹んで心からお見舞い申し上げます。

 体が覚える、ということは非常に怖いものです。今回の揺れとドーンという音に対して、心臓がドキッと反応して、いろいろな嫌な感覚がよみがえってきました。その後の余震のたびになぜか敏感にドキッとするトラウマのようなものがあるんですね。

 不思議なことに、3年前の震災直後の現地で体験した様々な悲しい状況が、写真のフラッシュのようにパチパチと頭のなかに浮かんできました。ほんの一瞬に、何枚ものあの時の静止している光景が浮かんでくるのです。ひび割れた高速道路。そこからみえる街のなかでぺしゃんとつぶれている数々の家。友人家族の家までなかなかたどりつけない、ぐにゃぐにゃと曲がった道。ヘリコプターの音。山斜面が土砂崩れで、下の道路がない岸壁。避難所で途方に暮れるご老人たちのまなざし。その後の度重なる余震で、たまたま新幹線車内で閉じ込められ、夜を明かした自分自身の姿を第三者の目で見ているような光景。

 直接被災していない私がそうですから、現地で被災された方々の揺れに対する恐怖心とその後の復興までのご苦労を考えると想像を絶するものがあり、言葉で表現することにはためらいを感じざるを得ません。本当に、本当に皆様方のこれからの復興までのご努力を続けられる精神に敬意を表します。

 今は、ただ、ただ、無力な自分ですが、皆様方のご無事と安全をお祈り申し上げる次第です。クラブとしても可能な限り、被災された方々へのお手伝いをさせていただければと思っております。

 私の心は、静止画の悲惨の光景はパチパチと頭の中に浮かびましたが、しかし、心は暗くショッキングな気持ちになったあとは、なぜか心がジーンと熱くなるものが浮かび上がってまいりました。それは、震災された方々の復興までのがんばる気持、負けない気持ち、明るく前を見つめるまなざし。生きる喜びを素直に表す自然な笑顔。

 被災中に「欲しいものはアルビの勝ち点!」と明るい笑顔の小千谷のFファミリーは、震災を乗り越え、次々と起こる家族の様々な出来事も乗り越え、「辛い」とは一言もなく、このたびの地震でも、本当は怖いと思いながらも淡々と気丈に話す口ぶりに生きる強さを感じます。元気付ける自分がむしろ元気付けられているような…。俺って何なんだ!

 私は、先回の未曽有の震災から、またこの度の震災においても学んだことがあります。人は前を向く、ということ。生きるために前を見るということ。

 浦佐を発車した瞬間に閉じ込められた新幹線のなかで、電気が落ち、暖房も止まり段々と寒くなる車内。天災にも関わらず、次第に誰かのせいにしたくなる車内の雰囲気。どうなっているんだ! と怒号が飛び交う反面、JRのせいにしたところで何も始まらないのに、という嫌なムード。その後、車掌は冷静に、只今ここから線路を歩いて長岡まで点検中とのアナウンス。車内は静まり返って、「なにっ長岡まで歩くってどういうこと」。考えてみたら当たり前ですよね。レールの曲がりや土砂崩れがないか長い長い道のりを丁寧に歩いて点検しなければならないわけです。一瞬で通り過ぎるレールも誰かが苦労しているからこそ、その恩恵を受けることができるわけで。

 「ただいま、○○まで安全点検完了」「ようやく○○まで終了。あと10キロほどです」と、アナウンスが入るたびに、怒号を飛ばしていたものまで、がんばれ~、たのむ~と応援しだす始末。まるで目の前に必死になって点検しているJR職員の姿が浮かぶように、今この場で何もできない自分たちに無力感を感じながら、とにかく応援し続けるしかない、と大声を出し合う活気付いた車内の光景。

 「長岡まで無事安全確認終了!」のアナウンスが響き渡ると、自然と拍手が沸き起こりました。その後は快速にJR職員の方々が点検したレールをあっという間に通過していると、自然と涙が出てきた記憶がよみがえりました。

 みんなが必死になって誰かのために何かをする。直接、顔は分からなくても人と人がつながりあっているからこそ、人は生きていけると感じます。

 今、被災された方々に何をしてよいかと躊躇される方も多いと思います。まずは、その被災された方々のことを思ってください。新潟のことを感じるだけでも結構です。心のなかで共にがんばろうと励まし合うだけでも構いません。そして、少し余裕があれば義援金やボランティアなどできる範囲のなかで援助をお願いします。新潟のことをどんどん話題にしてください。新潟にお越しいただく方は、是非ともキャンセルされないで新潟の人に会いに来てください。どんなことでも新潟の人の助けになります。

 各方面からさまざまな援助、義援金、励ましの声を頂戴しております。本当に心から感謝申し上げます。

 只今、レディースの試合が終了しました。たくさんの方々から被災された方々への励ましと共に義援金が集まりました。義援金の重さ以上に心の想いがつまっています。被災地へこの想いを届けます。

 ふたたびの震災。事実は事実。前をみつめて、みんなですすみましょう!

 「またもう一度みんなで、がんばろう新潟!」

2007年7月23日 17時38分 小山 厚子

今週のサポーターコラムは新潟市の小山厚子さんにご執筆いただきました。ゴール裏で一生懸命にアルビレックスを応援する小山さんですが、ご主人はアルビレックスのスタッフ。コラム後半はご主人からも執筆いただきました。人はチカラをあわせることでどんな困難にも立ち向かえます。サッカーは、アルビレックスは、そのチカラを集めることができると思います。もう一度、がんばりましょう。(サポーターズコラム担当 丸山英輝)