2005.10.11 監督は辛いよ

 これを書いている現在、アルビレックスが予定外の十日町強化キャンプを行っている。スペイン代表が一目惚れし、ワールドカップ本番でもクロアチア代表がキャンプ地として使用したベルナティオを会場としているようだが、素晴らしい練習環境とは裏腹に、いや、だからこそなのか、サッカー以外は何も出来ないところで、選手達にとっては、何かと追い込まれた大変厳しいキャンプになっていると思われる。
 自ら蒔いた種というには可哀想だけど、苦難の向こうにはハッピーエンドあり。ハッピーエンドはスピルバーグの十八番なので、自宅に戻った今、反町監督だけでなく選手も、秋の夜なべにスピルバーグの映画でもみて元気を出して欲しいところだ。

 さて、学習の秋という言葉があったか怪しいけど、アルビレックスが強化合宿ならこの俺も、とばかりに明日からあるチャレンジをする予定でいる。もちろん、昨日、今日に決めたものでないことは、制度の仕組みを知る人は分かると思うが、C級コーチライセンスの受講がはじまるのだ。いつもは日曜の夜から月曜にかけて執筆している当コラムだが、3連休が全てこのライセンスの受講で埋まるので、今回は金曜日に書いている次第。

 せっかくなのでコーチライセンスについて少し説明しよう。まず僕が受講する予定のC級だが、「サッカーの基本的な指導ができる人材を養成することを目的」としていて、B級、A級が「全国レベルの選手の指導ができる人材を養成すると同時に、地域・都道府県の指導者のリーダーとなる人材を育成することを目的」としているのに比べて、一段落ちるが、それでもJのユースやジュニアユース、ジュニアの監督を務めることができる(誰もおまえに頼まねえよという話はさておき)。正直、B級より上は、受講に関してサッカー協会の推薦等も必要となってくるので、僕のようにサッカーを職業にしていない者にとってはC級取得が最大にして現実的な目標だ。なお、参考までにお馴染みのS級は、年間20名しか受講が認められていないスーパー資格で、代表のキャップ数等もアドバンテージとして考慮されているため、元プロがゴロゴロ出てくると予想される今後、余程じゃないと、プロ経験者以外の取得は難しいのではないだろうか。

 僕がどうして指導者資格をとろうと思ったかと言えば、サッカーをより深く知りたいと思ったのと(元プロの受講者に聞いても目から鱗の話が多かったらしい)、現在、小学生の指導をしている中で、サッカー指導の難しさ、奥深さ、面白さ、責任の重さを知ったからだ。
 新潟がどうしてサッカーにおいて他県の後塵を拝しているかと言えば、やはり指導者が不足しているからに他ならないからだろう。新潟にも優れたコーチは沢山いるが層が薄く、たとえば、非常に数が多い小学生のクラブをカバーできるほど指導者がいないため、各クラブともいわゆるお父さんコーチを多く登用しているのが実情だと思う。お父さんコーチも悪くはないが、やはり、知識と実技経験を有するコーチの方に分があるのではないか。サッカーの強豪県は、このお父さんコーチのレベルが高いと言われる。文字通り草の根レベルまで層が厚いのだ。
 こればかりは歴史の差であるので、新潟がそうなるにはもう少し時間が必要と思われるが、現在小学生である彼らにとってはそんな悠長なことを言っている暇はなく、それどころか、たまたまついたコーチ如何によって彼らのサッカー人生がある程度決められるとなると、むしろ無垢な分だけちょっと辛い。才能のない僕が少しでも役に立つには、こうやって恥も省みずにチャレンジし続けるしかないのだ。

 しかし、原則週末オンリーの小学生のコーチでもトレーニングメニューを組み立てたりと準備に何かと大変なのに、それが毎日、しかも、緊張を強いられる日々の中で続けなくてはならないプロの監督というのはつくづく大変な職業だと思う。ただ単にトレーニングさせればいいというのではなく、その中にはベンチ外選手のケアも入っているだろうし、敗戦を引きずることなく、次の週末の用意をしなくてはならないわけだし。
 先日、腰の負傷によりベンチに追いやられた試合で、初めてジャミネイロの指揮らしきものをとったが、いきなり2失点する展開にどうしてよいか分からず、半ばパニック気味になった。第三者としてみているのと、当事者になるのとでは全然違うと気づいたのはこのとき。

 この中断期間を一番長く感じているのは反町監督かもしれない。そして、一番連敗に苦しんでいるのも監督に間違いないだろう。あぁ、一刻も早く悩みから解放され、穏やかな心と表情でスピルバーグの映画を見て楽しんでもらえる日が来ますように。意表をついて、ベタな逆境ナインあたりで気合いを入れ直していたとしたら今以上に好きになるんだけど(笑)。

2005年10月11日 浅妻 信

PROFILE of 浅妻 信
あさつま まこと 1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。