2006.08.07 市陸の心

 梅雨が明けるといきなり真夏。初夏がないというのが新潟だというのを思い出した。こう暑いとピンク色のアレをガリガリ食いながら仕事をする羽目になる。小学生は夏休み。雪国と言われている新潟の子どもも真っ黒に日焼けしている。

 市陸のセビリアFC戦もこのよすぎる天気のなか行なわれた。なぜかセイゴローで売らなくなってしまった串焼き豚を片手に、もう片手にサッカー観戦の友のビールを持ち市陸の階段を早足で駆け上がる。見えてくるのは懐かしい芝生。芝生の生育は日照時間に比例するらしく、屋根の無い市陸は芝生が最高。あぁ、昔はここで日曜13時キックオフだったんだなぁ、11時開門でよくあんなにテンション上げられたなぁ、、、なんて思いながらゴール裏に入ると、まさか上がると思っていなかったビッグフラッグも準備されていた。実際「昨年の大連は行かなかったけど、今回は市陸だから来た」というサポーターは結構いて僕もその点は大いに同意できる。セイゴローの雰囲気は圧倒的だけど、帰りに飯を食うのも一苦労というあの渋滞はかなり苦しい。仕事帰りにふらっといける手軽さは最高だ。

 しかし懐かしさに浸っていられたのもそれまで、試合開始後はセビリアFCの単独練習を見ているようだった。(本間)勲や(鈴木)慎吾、松下など単発でがんばっている選手はいるもののチームの気迫は圧倒的に向こうが上だった。バレンシア、ボカなどのやる気のなさはなんだったんだろうってくらいの気迫。昨年、一昨年のダレ気味だったチャレンジマッチに自分も慣れてしまっていたのが情けない。少なくともセビリアの選手たちは試合でも、そしてチーム内でも戦っていた。5点目、6点目と奇麗に決まり続けると、もう拍手しかできない。3000円の元を取るにはあっちのプレーを見るしかないだろう。

 改めて見直すと目立っていた9番カヌーテを筆頭にとにかくみんな早い。動き、判断、パススピードすべてが早い。なるほどオシム監督が早さ(速さ?)を一番に上げるのも頷ける。特に終盤の速攻など、練習でもなかなか決まらないような見事な基本プレー。あの辺の速攻をきちんと決めれないとあっちの中堅チームは破綻してしまうんだろうな。

 さて、無理やり3000円の元を取ったところで気分一新、飲みにいこう。ってことで一路古町を目指す。思えば市陸→古町の流れは当時から超主流で実際サポーターのなかにも古町飲食関係者が多かった。レプリカ着て一緒に応援していた店のマスターと一緒に店に行き、これまた一緒に店に入り「ちょっと準備すっから、ビールでも飲んどいて」とダラダラ過ごすというのが市陸のあとの正しい過ごし方だった。飲食関係者は職業柄人に優しく、仁義に熱い。新潟サポーターが選手に対して「応援してやってる」というスタンスを取らず、「苦しいときこそ応援する」というスタンスを取っているのは「新潟」という土地柄だけでなく、市陸=古町エリアという超ミクロな土地柄も理由として存在しているはずだ。駅南もちょっとずつ店が増えてきているけど、やっぱり古町は楽しい。

 試合の憂さを晴らすように6杯、7杯と杯を重ねると会話はやはり、鳴尾のハットトリック、マルコのオーバーヘッド、そして永井監督の胴上げやマジシャンが落下したことなどの市陸談義に戻っていた。宴が盛り上がるにつれ、東海林のり子にそっくりな店員さんの機嫌が悪くなってきたので自主的に店を手伝いながら宴会を続行。市陸の夜は長かった。

 どうでもいいけど、ピンク色のアレ。セイゴローで売ってるのかなぁ? 新潟の夏といったらアレだろう。

2006年8月7日 浜崎 一

PROFILE of 浜崎 一
はまざき はじめ 1977年生まれ。神奈川県出身。1999年、新潟大学在学中にJ2に昇格したアルビレックスに出会う。当時のキャプテン木澤選手のクロスに感動しスタジアムに通い、2000年からはゴール裏で観戦。選手のプレーをよく見る現在のゴール裏の流れを作った。29歳の今も現役の県リーガーとして活躍?中。