2005.12.12 A fairy tale in Niigata

 2005年12月10日。天皇杯磐田戦をもって新潟の一つの時代が終わりを告げた。この週末、僕は本当に磐田に向かいたかった。あの浦和戦がラストでは、サポーターだけでなく選手にとってもあまりにも寂しすぎる。僕の周りが続々と磐田行きを表明し、通称ハゲバスに乗り込んでいく中、僕には先約ががっちりとあり、泣く泣く断念をしたのだが、今となっては後悔している。やはり何を差し置いても行くべきではなかったのか。

 試合はいかにも新潟らしいものだったようである。結果は惜敗。内容だって決してよくない。しかし、そんな冷めた第三者的な印象だけでは言い尽くせないニイガタソウルが充満した試合ではなかったのか。
 前半を0-0で折り返すも、後半開始早々、海本慶治の退場でいきなり数的不利に陥る。よくこらえていたが、磐田が福西のヘッドでついに先制。しかし、諦めない新潟は、10人という状況ながら、試合終了間際に泥臭いゴールで同点に追いついた。決めたのは上野優作。今シーズンは不本意な1年を送ったと思うが、2年前のアウェイ札幌での同点ゴール、そして昇格決定の試合でもみせたとおり、ここ1番の勝負強さは抜群だ。その場にいたら土壇場で追いつく劇的さ、また、サヨナラを回避できた(結果的に一時的なものに過ぎなかったが)という安堵感もあって、感涙必至だったであろう。
 ところが、運命の悪戯か、歓喜の時間は長く続かず、それどころか、5年間に及ぶ反町新潟のメモリアルビデオを見るかのように、疑惑の判定で後味の悪い終わり方をしてしまった。事実上の反町新潟の誕生となった新潟スタジアムのこけら落としである京都パープルサンガ戦。あの時も延長タイムアップ寸前に訳の分からないPKが吹かれ、スタジアムが騒然となったが、よりによって、サッカー神様はこの試合を最後に再び持ってきたようである。新潟必死の抗議も覆らず、1vs2で敗戦。ついに2005年のシーズンが終わった。

 思えば、ちょうど2年前のこの時期、J1昇格に浮かれる我々を迎え撃ち、4-0の圧勝をもって昇格を祝ってくれたのが磐田であった。結果的に、反町監督のJ1は磐田に始まり、磐田に終わったことになるが、監督会見でも述べられたとおり、この2年間に試行錯誤をして積み上げてきたものが、数字上だけでなく、内容的にも存分に発揮できたのではないだろうか。最後まで諦めでないで走る。この試合を最後に新潟を去る末岡が、ふがいないと罵倒された高卒ルーキー集団の一人藤井も、決死の思いで走り、その成長した姿を監督の前に見せつけた。一人少ない状況で全員が体を張ってゴールを守った。いや、ここで僕が何千もの言葉を綴るより、反町監督の会見の言葉をそのまま引用しよう。新潟のサポーター、そして選手の心にこれほどまでに響く賛辞を僕は知らない。

苦しい状況で本当に一所懸命やって、ジュビロとうちでどっちが一所懸命やったかといったら、やっぱりうちだと思う。それを中立の人が見たとしたら、新潟に惜しみない拍手を贈っていると思う。僕はチームを率いてから5年間、こういうチームを作ってきたので、それを今日出せたというのは、非常にうれしく思っている。だから、今日は勝たせてあげたかった(涙を見せながら)。みんなよく頑張った。ジュビロの1.5倍走った。だから、勝たせてあげたかった。まだまだ下手くそだけど、一所懸命やったと思う(J’s Goalより)

 用事を終え、自宅に戻ってきた僕はオフィシャルの試合速報で、試合経過、そして敗戦を知った。ついに終わってしまったんだという喪失感に包まれた。いても立ってもいられず、磐田に行った友人に電話を入れてみる。熱い試合だったようだ。終了間際の同点ゴール。そして監督の抗議により、試合も中断。あの菊地が、ヤバイばかりの勢いで審判に抗議したという。
 その後、僕は心にぽっかりと穴を空けたまま、再び所用で自宅を出たのだが、その道中につけていたテレビニュースで記者会見の様子を知った。あのクールな反町監督が、これまでのイメージとは180度違う人間くささで、号泣している。見たことのある人なら分かるであろう。反町新潟の5年間を映画にたとえるならば、まさに名作ニューシネマ・パラダイスを見ているかのような、心を揺さぶられるエンディングであった。
 実のところ、この号泣シーンを放送しないでくれという取材要請があったことでも分かるとおり、現場指揮官という責任、プロフェッショナリズムを追求するあまり、人間くささを感じさせてくれなかったのが僕にとって不満の一つであったのだが、最後の最後で本当の自分をさらけ出してくれたことで安心するとともに、監督業の過酷さ、孤独感も分かった気がした。反町監督、あなたはやはり素晴らしい指揮官だった。この映像をみた瞬間、お別れが急に現実的なものになり、車中でもらい泣きしてしまった。

 監督の辞任会見以降、色んなメディアからこの件についてのコメントを求められていたが、僕の考えは一貫している。この別れは永久のものではないのだ。5年前、よちよち歩きのひよっこ同士が手を結んだ新潟と反町康治。監督の言葉を借りれば、おとぎ話にたとえられるような奇跡的な出来事がいくつも重なり、そしてこれは「ニイガタ現象」にまで昇華した。あと、何年先になるか分からない。しかし、反町康治は必ず新潟に戻ってくるはずだ。そのときのために、反町監督はもちろんのこと、クラブも、サポーターも成長し続けなければならない。そして、そのとき、新潟のおとぎ話第2章がスタートするのである。
 グラシアス。そして、ブエナ・スエルテ!

2005年12月12日 浅妻 信

PROFILE of 浅妻 信
あさつま まこと 1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。