2006.11.21 アイシテル新潟

 ここで明かそう。僕はニワカサポーターだ。JFLなんて知らないし、反町以前も知らない。アルビレックスを見始めたのは2002年の春。子供が小学校からもらってきた招待券を使い、家族でビッグスワンの2階席で見たのが最初だ。ゴール裏の一部を除いては開門後に行っても席は選び放題だったし、キックオフ間際に行っても座れない、なんてことがない時代だった。(それほど昔ではないが)

 僕は家族でスタジアムに行ったものの、どこに陣取ればいいか分からず結局2階席の出来る限りハーフウェイラインに近い場所に座った。陸上用のトラックがある割には素晴らしく見易いスタジアムだ、と感激したのを今でも覚えている。

 その時は新潟の選手の名前は全く知らず、しかも相手選手の名前すら分からない。知っているのは反町監督だけ。新潟がどんな戦い方をするかも分からず、チンプンカンプンな状態だったが、新潟の初戦を楽しんだ。

 いや、正直に言おう。少なからず退屈な試合だった。なぜなら、残念ながら僕の新潟初観戦が負けて終わったこともあるが、この時はまだこのチームが好きでもなく(失礼)、選手の名前も特徴も全く分からない状態で応援するのは若干の苦痛を伴うものだったからだ。

 ただ、元々好きだったサッカーを生で見られることに感動しつつ、チャントを熱心に歌う人の群れに吸い寄せられるように2階席から身を乗り出してゴール裏で応援する新潟サポーターを見ているうちに、彼らのことが若干気になってきた。

 この時点では、よそ者である自分がその中に入っていくなんて思いもしなかった。

 それ以来、他に大した趣味がなかったこともあるが、僕のスタジアム通いが始まった。チームの特徴を理解し始め、負ければ悔しいし、勝てば嬉しい、そんな気持ちが出始めてきた。そんなことを繰り返しているうちに、ゴール裏の人たちが良く使う「俺の新潟」というフィロソフィーをなんとなく理解し始めてきた気がした。それは僕が新潟人になっていく過程でもあった。

 ビッグスワンが陸上トラックの改修に入ることから、シーズン途中からホームゲームは全て市陸開催となった。その際に発売されたシーズン後半用の昇格祈願パスを買った。それが僕の最初に購入したパスだった。しかし残念ながらその年は終盤、C大阪に敗れ昇格することはなかった。(翌年発売された昇格祈願パスは絵馬をデザインしたものでソレを首から提げるのはちょっとした罰ゲームのようではあったことを思い出す)

 そもそも、僕は生まれも育ちも新潟ではない。転勤族の僕はこの年、たまたま新潟に赴任となりアルビレックスと出会うのである。過去の話になるが僕は学生時代に野球のジャイアンツの大ファンでしょっちゅう東京ドームに徹夜で並びライトスタンドで応援していたのだが、そんな僕の血が騒ぎ始めたのか、ゴール裏から遠く離れた場所での試合観戦から、試合のたびに少しずつゴール裏に近づいていった。

 2階席のハーフウェイライン寄りからゴール裏寄りへ、また2階席から1階席の端へ、そしてゴール裏の中心寄りに。このころはゴール裏中心と言えど、ちょっとだけ家を早く出れば割と簡単に席を確保できた時代だった。

 そうやっているうちに、いつしかゴール裏で大声でアルビレックスを応援することになったのだった。

 翌年、サポーターが作るCDのレコーディングがあることを知り、まだゴール裏の知り合いはほとんどいなかったのだが、一人で行ってみることにした。全く面識のない主催者にメールを出し参加の意思を伝えるとともに自分の簡単な自己紹介を添えた。それをもとにレコーディング当日、主催者に声を掛けた。それが僕の一種のゴール裏デビューだった。

 気が付けば、僕はゴール裏の中心にいた。

 それが必然だったのか、それとも何か別の力によるものだったのかは分からない。ただ何かに惹きつけられるようにゴール裏に吸い寄せられていった。それは実は皆も一緒だと思う。

 今まで書いてきたことをそのまま読めば、新潟サポーターに惹きつけられゴール裏に来たように読み取れるかもしれない。しかし、そうではない。そこには膨大な背景がある。美味しいご飯はもちろん、人との出会い、きれいな夕日、僕的にはスキーが好きなので寒い冬も気にならなかった。(ちなみに寒くなると、ここ(新潟)はリバプールだ、とか、ミュンヘンだ、とか、自分に言い聞かせて我慢していたのは内緒だ。)

 話しを戻す。僕は間違いなくゴール裏の中心にいた。僕は新潟と言う街のエネルギーによって引き寄せられたのだ。そしてゴール裏の中心で愛を叫んでいる。紛れもなくそれは新潟への愛だ。

 たった数年間の新潟生活だったが、とても充実していた。仕事柄多くの街に住んできたが間違いなく新潟はトップクラスと言っていい。(敬意を表しカミさん出身の関西を一番ということにしておこう)

 人も街も食も素晴らしい新潟に、フットボールが存在している。皆は街を愛しフットボールを愛す。このふたつの融合が新潟の良さを際立たせていることは間違いない。

 だから大事にしたい、このクラブを。クラブに関わるとき、もはや応援論議とか戦力分析とかそんな狭い視野で関わってはいけないのだ。もはや、アルビレックスは新潟の文化そのものとなりつつある、と言ってみたらそれは言い過ぎだろうか。

 そこでもう少し考えてみる。文化だというなら、どうだろう。新潟のスタイルを確立すべき、もしくは認識すべきだと思わないか。応援であれ戦術であれ。

=From アルビレックス新潟フロント スタッフ=

熱き想いながらも、冷静で、素直で、美しい・・・。
すばらしいコラムを拝読し感動しました。ありがとうございます。
ニイガタの街と人と食をアイシテルあなたを、私たちがアイシテしまいそうです。

要は、文化とは当たり前のこと。
人と人の体に入り込んでしまって、気づかなくとも普通のこと。
一人ひとりがつくり上げていくもの。
私たちもその一人ひとりになります。

2006年11月21日 14時10分 篠崎 徹

PROFILE of 篠崎 徹
しのざき とおる 1966年生まれ。東京都出身。W杯やアルビレックスJ1昇格など新潟サッカー界で一番オイシイ時期を新潟で過ごす。2004年に東京へ転勤。以後アウェイでのアルビレックスを盛り上げようと日々奮闘中。