2007.12.10 たそがれ清五郎

 「はっ」という間に今シーズンが終わってしまった。

 なにか特別な意味や最終戦に相応しいドラマのようなものを見付けられないままに終了の笛が鳴った。ダンドリは粛々と進んで、もう選手たちが場内一周をしていた。

 観客席には「いやあー、クタクタに疲れたぜ!」「もうバタンキュー」という心地よい疲労感がない感じだった。くたくたになっちゃってメシを食いながら寝ちゃうようなバタンキューな自分になりたかったなあ。

 よく考えればそれが「ノルマ」なのか「目標」なのか、その雰囲気があやふやだったけれど「勝ち点」と「順位」をしっかりクリアしたのだから、みんなもっと「ありがとう2007年!」と感じていいのだが、結びの一番の前で優勝が決まってしまった白鵬みたいに拍子ぬけだ。

 優勝にも降格にも関係のないゲームでスタジアム全体が意味を纏うことは、それはそれで難しいのだが、森下さんがコラムで言っていたようにホント「まだまだ、しまりません。」だ。

 ただ、試合後の選手たちには笑顔があった。

 シーズンを終えた安堵感や最終戦を終えての到達感なのだろう。その表情や大きく振られる手をじーっと見ていた。

 拍手をする僕の肘の位置が高くなる。拍手は自然と自分の頭の上で鳴る。

 河原とアトムの数分間の躍動で無限の可能性を見せ付けられてから9カ月。それ以上のシーンを見ていないような今シーズン。でも、チームのど真ん中ではいろんなことがあったんだろうな。ピッチの上はもちろん、練習場でも、移動のバスのなかでも、そして遠征先の宿舎でも選手たちひとりひとりの意思をぶつけ合ってつなぎ合わせて、チームがシーズンを戦ったんだろうなと思う。小さなドラマが何層にも重なって「2007年のアルビレックスの冒険」がある。それは選手たちだけが知る世界だ。プロフェッショナルな男たちが30名近く集って戦うってことはそういうことだ。笑顔は正直だ。

 引き上げていくそんな選手たちを見送りながら思った。

 スタジアムに集う僕たちは、この場所で何をするべきなのだろうか。満足とか不満とかの尺度の何かを求めているんじゃないと思うな。

 かつてマルクスに「僕らの声が届いているか?」と問いかける歌を歌っていたスタジアムが僕は大好きです。ゴールを求めつつも聞こえてますか? のダブルミーニング。よくよく考えるとおかしくってしかたないが、一般論じゃ語れない雰囲気がある。

 天皇杯で起こったバス事件のあと、サポーターの岡田さんから「ここは世界に誇れる雰囲気。老若男女が大きな声で歌い、集うスタジアムですよ。この雰囲気を守り続けないと。そして伝えないと。もう一度頑張るときなんだと思うんです」と聞かされた。「これを教訓にしてもう一度クラブも頑張ってくれると信じてるんです」と言う岡田さんの言葉を聞いて、その肝っ玉の座り具合に感服した。子供を連れてスタジアムに来る岡田さんはどこか得意気でちょっとかっこよくて微笑ましい。そんな小さなドラマみたいなものがどのサポーターにもあって、それが何層にも重なりあって、スタジアムが橙色に染まっていく。それは企てて染めた橙色ではなくて、自然に染まっていく夕日のような橙色だ。

 そんな選手たちとサポーターの決して相容れないようでつながっているみんなのドラマが織りなすのが、ここビッグスワン。だからサポーターは何かに惹き付けられるようにスタジアムに集い歌うし、選手は頑張って頑張って頑張る。

 この日の試合前練習の時、サポーターから惜別のコールを受けたフラビオが泣いていた。ビッグスワンの象徴のような光景だった。

 たそがれるスタジアムを見ながら、「一人称なことばかりで考えてはいけないのだな」と自分を律した。すぐに「2008年のアルビレックスの冒険」は始まる。「たそがれ清五郎」はまたたくさんのドラマを積み込む日を待ってくれている。

2007年12月10日 13時49分 丸山 英輝

PROFILE of 丸山 英輝(まるやま ひでき)
エイヤード代表。まだアルビレックスがJ2だった頃、ペンパルズのゴール裏でのライブをやっちゃってから仕事も応援もの毎日。今では新潟から天気予報をチェックするほどの愛情をもつ。毎年、選手チャントを考えるもいまだ採用されず、不採用記録を更新中の日々。その作品には「アンデルソン・リマ~ゴー・ゴー・ゴー・ゴー♪」(橋幸夫/恋のメキシカン・ロック)など聞きなれない懐メロばかりでセンスを疑う声が多い。東京在住。