2007.05.01 第9回「ジェネレーションギャップにおける早野派の躍進」

 今シーズンは何故か母親と一緒に試合を見に行くことが多い。先日の横浜Fマリノス戦は、大会期間中につき、家に残して早く寝せようと思った息子が頑なにそれを拒んだため、親子三代並んでの観戦になった。2002年シーズン後半の、昇格祈願パスからチケットホルダーになった母親に対し、98年生まれの息子の方は、99年からの観戦組。一度でもそこに位置した人は分かると思うが、太鼓の真下というのは、耳をつんざくほどの爆音と振動がする。その爆心地で横たわり、子守歌代わりに眠り続けた姿は、数ある市陸伝説の一つだろう。
 彼にとって、アルビレックスとは生まれたときから存在するクラブであり、週末にゲームがあるということも当たり前。特に、自分が本格的にサッカーのプレーを始め、プレーというものをきちんと理解し始めた頃にはチームはJ1へと昇格していた。つまり、彼は日本最高峰のレベルのプレーを間近に見られるのが当たり前になっているわけで、実に生意気である。永井監督時代はほとんど爆睡で過ごしていたわけだが、決して永井監督に対する無言の抗議だったわけではないことは皆さんに理解して欲しい。

 さて、そんなマリノス戦だが、0?6という実に清々しい散り方だった。確かに、新潟もふがいなかったかもしれなかったが、それ以上にマリノスがツボにはまったと言えよう。試合途中から、アウトプレーになるたびに、早野監督がベンチを飛び出して選手に耳打ちしていたが、出来たてホヤホヤのダジャレを披露していただけではなさそうだ。フラット3にするのでは、という新聞報道も、早野監督ならではのジョークだったに違いない。日本代表の中沢を中心とする4バックは強固で、全くスペースを与えず、それどころか、中沢による巧みなラインコントロールで、新潟のツートップはオフサイドを取られまくり、完全に封じ込められた。山瀬も、知らぬ間に山瀬兄弟として商品化されているし、北斗の拳に登場するキャラのようになってしまった坂田が、それこそ秘孔を突かれたかのように切れまくっていたのも、よく分からないけど全て早野効果ということにしておこう。ロングフィード一発で決められた3点目をはじめとして、以降の得点は、全てマリノスのサイクルに完全はまったものだ。怖いぐらいにはまるカウンター。シュートチャンスをことごとくモノにする恐るべき決定率。この日のマリノスは強すぎた。早野師匠(師匠かよ)が、新潟の監督なら、この日のサッポロビールサンクスデーにかけて、記者会見で開口一番こうおっしゃったに違いない。

「乾杯です」
(小道具として何故か用意していたジョッキを掲げながら)

 そんなわけで、あまりにも見事にやられたので、僕は言うほどの悔しさを感じなかったのだが、当然色々な反応がある。例えば、帰りの車中における、先ほどの、親子三代の会話を振り返ってみよう。息子は最悪だ、と言い切った。新潟弱すぎー、と、歯に衣を着せぬ、ある意味子供らしい辛辣な意見を吐いた。母親も「なんだね、あの試合は。ホームでこんなにとられた試合はあったかね」と、さりげなく数年来のシーズンホルダーをアピールしながら憤慨している。僕としては、例えば、2vs1で勝っていた試合で、ロスタイムで同点にされた試合より遙かに後味は良かったのだが、これに対しては猛烈な反発が待っていた。二人とも、勝ち点1を取った方がずっと気分良く帰られるという。
 これは僕にとって非常に意外なことだった。確かに僕は最近、周りの友人から少数派と言われている。でも、ロスタイムに同点にされて勝ち点3を逃すくらいなら、これぐらい徹底的にやられた方が気持ち的にずっと吹っ切れる。例えば、漫才の興行を見に行くのなら、腹を抱えて笑わせてもらうか、全然面白くなく、何とも言えないシュールな間を楽しむ方を選ぶ。つまり、僕が見に行くのはダウンタウンかリットン調査団になる。どっちつかずは嫌だ。しかし、母と息子は、モヤモヤした後味を残したとしても、笑いの要素(意図)が少しでもあれば満足するというではないか。深読みすれば、早野監督のダジャレでも彼らは十分満足する、とても面白いと言いきっているわけである。

 僕は混乱した。いつ見てもソーシャルビルのフロアマネージャーのように見える早野監督が僕に微笑みかけている。あぁ、今日は、徹底的に早野監督にやられたようだ。でも、車が自宅に近づくにつれ、どうでもいいことのように思えてきた。まず、この日が3連休の初日であったこと。これは気分の回復に多大な影響を及ぼす。そして、ハーフタイムの抽選会で引き当てた、サッポロビール「ドラフトワン」の存在。特に、先ほどまで痛烈なゲーム批判をしていたはずの二人はもうビールに夢中だ。早野派は切り替えもすこぶる早かった。

2007年5月1日 12時34分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。