2007.07.10 第19回「プレイバック2001(1)」

 サポーターの間で話題になっている本がある。本というくくりにしては、関係者怒るかもしれないが、アルビレックス新潟11年史がそれ。僕も予約注文して、いち早く手に入れたが、ごめんなさい、完全に期待を裏切る面白さ。じゃあ、お前は何を期待して4500円もつぎ込んだのかと言われそうだが、ともかく、全新潟サポーター必携の本と言えよう。
 資料的なバリューはもちろん、注目すべきは写真で綴るクラブの歴史である。懐かしの顔、風景、選手がページをめくるたびに現れ、当時の風と景色を運んできてくれる。僕がクラブを見始めたのは99年からで、チーム創設時のサポーターから見れば新参者に括られるのだろうが、それでも11年という歴史の重さを感じずにはいられない。
 
 人それぞれに、思い出の年というものがあるだろうが、おそらく一番多くの人が転換期としてあげるのは2001年だろう。僕自身の2001年はどうだったか。シーズンオフに反町監督の就任が決定し、新監督1年目。今と違って、全く情報が入ってこない時代だったから、大雪に襲われた2月、友達と一緒に、わざわざ福島のJビレッジまでキャンプを見に行ったことを思い出す。寒い2月に、東北地方でキャンプをやらざるを得なかったことでも分かるとおり、典型的なJ2チームであった新潟はお金もなかった。当然、キャンプ見学している者など皆無。もちろん、邪魔にならないようにはしていたが、ピッチ脇の一等地に陣取り、新戦力と、新監督のお手並みを拝見できた生意気な時代だった。取材する人も誰もいないので、練習終了後、宿舎に引き上げる選手と並んで、気軽に選手に話を聞くことも出来たのだ。
 当時、僕が持っていたサイトにこんなレポートを出していた。覚えている人はほとんどいないだろうが、当時の様子も少しかいま見ることが出来るので、恥を忍んで、ここに一部抜粋しよう。

 不安を誘うのは反町新監督である。フィジカル中心の1月の練習を見た人はわかるだろうが反町監督はとにかく練習中に指示をしない。一切喋らないと言っても過言ではない。「プロ選手を相手にした時の指導力」それが我々には大きな不安となっていたのだ。

 どうしてキャンプを見に行くことにしたのかという理由付けだが、後のインタビューで、反町監督自身も、当時、相当「気負い」があったことを認めていた。今はもちろん、数年後の姿はとても想像できないが(笑)

 食事を済ませ、スタッフの三ヶ月主務に練習場所を尋ねると普段と変わり無い様子で練習場所を教えてくれる。ちったぁ、驚けよ。屋外の凍てつく寒さで、外に出ることすら戸惑っていると、ハーフパンツの下に紺のタイツを身にまとった見知らぬ男がピッチに向かって走り出す所だった。テスト生で参加している森崎(元横浜FC)であった。慌てて追い掛け、声をかける。「あんまり注目されると緊張するんですよ」と照れる森崎。意外と余裕だ。30分早くフィールドで個人練習を開始すると新聞に報じられた真面目な姿勢は嘘ではなかった。
 この森崎、セレクション時に、反町監督にオフ・ザ・ボールの動きを評価されての再挑戦。個人的に聞きたいことがあったので、練習終了後、彼にインタビューを試みると、疲れているにもかかわらず、快く答えてくれた。寒いため歩きながらのインタビューだったが、なんと回り道までしてくれるという真心対応だ。うーん、奴って顔はいいし、愛想は抜群だし、入団できたら人気者確実だね。自分が新潟のスポーツ紙に写真付きでデカデカと紹介されているのを聞くと、驚き、そして喜んでいた。記事をとても読みたがったが、そうと知ったら持ってきてあげたのにねぇ。。晴れて、入団の曉に、手渡すことを約束。

 いかに厳しい環境(天候)下でのキャンプであったことが分かろうか。また、このように注目していた森崎だが、プロの壁は厚く、この福島キャンプで失格を宣告されることになる。なまじ、親近感をもっていただけに寂しかった。

 新戦力西ヶ谷、生方らはキック精度が高いことが確認できた。また新井は監督から体の入れ方を誉められていたらしい。森崎は積極的にシュートを打つ姿勢が好印象だったが、残念ながらそのシュートは枠を越えていったものが多かったようである。左足強烈との呼び声の高かった、誠意大将軍は...
 自身オフであるにも関わらず、TENYの取材に同行してキャンプ見学に来ていた須山アナから、「去年とはまるで別チーム」「練習の雰囲気がまるで違う」「新戦力の選手の力が高いので、去年までの選手の目の色が違う」「反町監督はとにかくインタビューをしていても頭が切れる」というマスコミ、スポーツ記者評をうかがった。
 去年と比較してもメンバーのレベルは高くそれなりに期待の持てるチームになりそうである。体格、キック精度等を比べてみてもチームとしてベースアップしている感じを受ける。それなりではあるが駒はそろった。新監督の練習風景は良い緊張感の中で行なわれたものであった。残る不安はチームキャプテンとシーズン中の監督の振る舞いである。木澤という絶対的な存在がいなくなり監督中心のチームを作りやすい環境になった今期、シーズン中にチームが崩れかけた場合に立てなおせるのは監督しかいない。次に監督の真価が問われるのはその時かもしれない。

 と、締めがあまりにも陳腐なのがいかにも素人臭いが(笑)、結果的に、新潟が大きく変わることになった2001年のシーズン当初はこんな感じだった。今読み返しても、半年後の爆発の息吹が感じられるかは微妙だなぁ。

 2001年は、サッカーに興味のない人に、少しでもチームに関心を持ってもらおうと、僕も必死で広報活動に勤しんでいる年だった。シーズン中断中ということもあるが、アルビレックス新潟11年史の発売で、僕も少し、昔を振り返ってみたくなった。そんなわけで、来週からもしばらく昔話につきあって下さい。11年史に負けずに、僕も昔のレポートを引っ張り出します。

2007年7月10日 12時55分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。