2007.07.24 第21回「プレイバック2001(3)」

 2001年5月19日、新潟にとって歴史的な日がやってきた。翌年にワールドカップを控えたこの年、ついに新潟スタジアムが完成し、アルビレックスがここで公式戦を行うことになったのである。収容人数は4万人超。それまで使っていた新潟市陸上競技場での平均観客数が4000人ちょっとだったと思うので、その10倍の人数が、理論上集結可能になる。

 4万人はあくまで机上の数字に過ぎなかった。ポップコーンが膨らむように、いきなり観客数が10倍になるマジックなどないと思っていた。ただ、クラブが一生懸命、この日に向けて集客作戦を行っていたことも知っていたし、ぶっちゃけ、このビッグプロジェクトの門出に人が集まらないわけはないと思っていたのも事実である。

 クラブも必死だったが、サポーターもこの機会を逃してなるものかと思っていた。当日、物見遊山で来る万単位の「お客さん」の足をなんとかして、今後もスタジアムに向かせなくては。ゴール裏サポーターも、これまで二つに分かれていた団体を、この晴れの日を前に一つにまとめた。そして、僕もテール・ゲート・パーティというイベントを始めた。試合後に打ち上げを行うのではなく、アメリカ式に、試合前からみんなでバーベキューをしながら、ワイワイと「ゲームデイ」を愉しむ。ここは社交場であったが、実はリクルートの場でもあった。サッカー好きで、かつ、人間的にも面白い個性的な人物を、酒や肉をエサにしてどんどん釣り上げる。サポーターなら分かってもらえると思う。サッカーの魅力は、ただ試合を見ることに尽きない。仲間と共有する時間、空気。これらもサッカーの欠かせない魅力だからこそ、サポーターはどんな日でもスタジアムに足を運ぶのだ。僕らは、この魅力を知らないごく普通のサッカー好きに、是非これを体感して欲しかった。アルビレックスサポーターという強力なユニットを作りたかった。そういうわけで、まず人作りから始めようと思ったのだ。ちなみに、このテール・ゲート・パーティは、この年、最後まで続き、ゴール裏サポーターの数もうなぎ登りで増えていったのである。

 話は戻る。果たして、当日32000人の観客でスタジアムが埋まった。本来は禁止されているが、きちんと掃除をするから、という条件で認めてもらった紙吹雪の中で、おそらく最初で最後になるであろうと思っていた大観衆を一生懸命目に焼き付け、感動していたのは僕だけではあるまい。しかし、それとは比較にならない感動がキックオフ後に待っていたのだ。

 当時、圧倒的な戦力を有する京都に、新潟は善戦した。未だにゴール裏から見ていたそのシーンが、スローモーションで目に焼き付いている。前半17分、新潟のエースストライカー黒崎が反転から、見事な先制ゴールをゴール隅に決める。黒崎久志。僕と同級生のストライカー。先週紹介した僕の選手名鑑にはこう書いてある。

FW#11 黒崎久志(栃木県 宇都宮学園 ヴィッセル神戸 185cm 33歳)
 Kazuと鳴尾。このJリーグを代表する2大スターの移籍に振り回された結果、新潟側からすれば「棚からぼた餅」の形で新潟入りすることになった、新潟史上最高のビッグネーム。オフィシャルのぼさぼさ頭の写真を見れば、「あぁ、当時本当に浪人寸前だったんだなぁ」ということが分かろう。
 「新潟のジーコになりたい」移籍当初のそんな殊勝なコメントをサポーターは半信半疑で聞いていたはずだ。そう、我々は、全くモチベーションをあげられないまま、ろくでもない成績と印象だけを残してとっととJ1へ逃げていったある選手のトラウマを拭い去れないでいたのだ。しかし、この黒崎は違った。一瞬とはいえ、某と並列に議論してしまったことを恥じなくてはならなかった。真摯な練習態度、番長顔と正反対の優しさ、家族思い、そしてピッチ内で魅せる本物の実力。恵まれた体躯を生かした抜群のポストプレーから、左右両足からのキャノン砲が炸裂し、現時点のチーム得点王である。そう、彼のゴールを目の当たりにした瞬間、我々はこう叫ばざるを得ない「ありがとう、鳴尾」。
 サイドに流れるスピードは、ジャイアント馬場並であるが、P.E内で見せるダイナミックな切り返しは敵DFだけでなく、ゴール裏サポーターも振り回す。

 ひょっとして、新潟史上、もっとも僕らに感動を与えてくれたのは黒崎かもしれない。黒崎は、当時の新潟のクラブレベルからすれば信じられないほどのビッグネームだった。しかし、そんなチームといえど、決して手を抜くことはなかった。それどころか、後日歩くのも無理だったと聞くほどの満身創痍の体でフルシーズン戦ってくれた。ポストプレーの正確さ、唸りをあげるキャノン砲。また、ピッチ外では氏原を育てるなど、ほかの選手に与える影響は絶大だった。「ジーコになる」という言葉通り、新潟にとって、初めての本物のプロ選手だったのだ。この選手が、今年、新潟に戻ってきてくれたことは、密かに僕の最大の喜びの一つなのだが、兎にも角にも、黒崎は28分にも、再び相手を突き放す2点目を叩き込む(ヘッドじゃなかったかなぁ・・)。

 この試合は、稀にみる壮絶な試合であった。この黒崎のゴールで再び突き放したものの、当時パク・チソン等を擁し、J2最強の名を欲しいままにしていた京都はあっという間に逆転し3-2。しかし、新潟も諦めない。この日、初めて一つにまとまったゴール裏を中心に、全員が懸命に声援を送ると、なんと、試合終了間際のロスタイムに氏原のバックヘッドで、なんと3-3の同点に追いつくのである。

 生まれて初めて体感する3万人の大歓声、いや体の底からの叫び。加えて、新スタジアムの音響効果は抜群であった。多くの人が、ライブでみるサッカーの魅力を知った瞬間ではなかったか。しかし、運命の神様はさらなるシナリオを用意していた。今度はタイムアップ寸前、非情な、いや、今だから言える明らかにおかしなPKの判定。119分、大嶽のキックがゴールネットを揺らした瞬間に試合は終わったが、スタジアムの興奮は収まることなく、それどころか一触即発の暴動寸前にまでボルテージはアップしたのである。試合終了後、引き上げる審判団に対し、ペットボトル、メガホンが次々に投げ込まれれ、それを阻止しようとするサポーターとの間でもとっくみあいの喧嘩が始まっていた。全てが今では信じられない光景ばかりだろう。それほど、熱い試合だった。

 確かに、この記念すべきこけら落としの試合は落とした。しかし、この劇的かつ非情な試合があったからこそ、いきなりサポーターは一つになれた。いや、単なる「お客さん」にすぎなかった観客の多くが、「サポーター」に名を変えた瞬間であった。この試合が凡戦だったら、今の新潟の姿はあっただろうか。J1昇格時に、どのマスコミも、新潟の飛躍の原因を探ろうと必死になっていたが、関係者の努力もちろんいうまでもなく、このような偶然がいくつも重なったのだ。まさにおとぎ話にたとえられる所以であろう。

2007年7月24日 15時55分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。