2007.07.31 第22回「プレイバック2001(4)」

 この運命の1戦の後、それまで不安定なパフォーマンスを繰り返していたチームの中で何かが動き始めた。選手も、サポーターも、そして反町監督も何か自信をつかんだのだろう。思えば、これらの三者は、みんな右も左も分からないヨチヨチ歩きの「醜いアヒル」だったのだ。ところが、この死闘は飛翔のきっかけになった。アルビレックスを取り巻く人々が一つになり始めたのである。

 11年史の巻末についている資料をたどると、ある1人の選手の加入がキーになっていることが分かる。もっとも、その前に、このシーズン当初に在籍していた二人のブラジル人について触れざるを得ないだろう。リンドマールとソウザ。この二人のプレーを見たことがある人はかなりの通だ。リンドマールは、開幕戦で、そうとうインチキ臭いPKをゲットし、勝ち点1獲得に貢献したが、あれが彼の人生のハイライトだったと共に、プレーの限界だった。サポーターがリンドマール用に用意したチャント、すなわち、フィンガー・ファイブの「恋のダイヤル6700」をモチーフにした、「リン・リン・リリン・リンドマール」は、一度も披露されることなく、空耳アワーレベルの浸透度で、彼と共にアディオスしていった。

 また、羽賀研二に似ていることで注目され、その真心パスの乱れ打ちが期待されたソウザは、 逆にスタンドから舌打ちが乱れ打ちされるなど誤算続きで、彼もリンドマールと共にブラジルに帰されてしまった。思えば、1月のチーム始動日に、僕の前に現れた彼は、突然、「ワタシノナマエハ、ソーザデス!」と言ったきり絶句。会話が全く続かなかったが、この時点で彼の能力に気づくべきだった。今では、優良外国人の獲得に定評のある新潟だが、当時は、泣かされ続けていたのだ。

 堅守速攻を目指す反町サッカーにおいて、キーとなるのが、展開力のあるボランチだった。ソウザが全く期待はずれだったため、本来はDFである西ヶ谷がそのポジションを務めていたが、なかなか思うようにいかず、そこで、7月に緊急補強したのが、マルキーニョだった。そして、これが当たる。

MF#8 マルキーニョ(ブラジル SEマツバラ 184cm 26歳)
  「新潟の誠意大将軍」「魅せろ!真心パス」etc華々しいキャッチコピーと裏腹に全く使えなかったソウザに代わって、シーズン途中からチームに加わったブラジル人選手。元々、攻撃的MFを得意とする選手であるが、新潟では秋葉と共にダブルボランチの一角を占め、そのパスセンスを生かして3列目から攻撃の組立をする待望の司令塔である。
 彼のつぶらな瞳を見ていれば、その奥に宿る「誠実さ」に誰しも心が洗われることだろう。彼こそが本物の新潟の誠意大将軍であった。丹誠込めた真心パスが敵陣を切り裂き、数多くのチャンスを演出してくれるはずである。
 ピッチ上ではセルジオと区別がつかず、お互いこっそり入れ替われるんじゃないかと、誰しも一度は思っただろうが、同様に、全くメリットがないことも誰しもすぐ気づいたはずである。

 マルキーニョの加入により、中盤でボールが収まり、左右に大きく展開できるようになった。そして、これによって生きてきたのが、この年の新潟を象徴することとなった左右のサイドアタッカーである。鈴木慎吾と寺川能人。慎吾こそ、先日大分への期限付移籍が発表されたが、J1四年目を迎える今年もチームの主軸として活躍する新潟の至宝である。慎吾も寺川も、反町監督によってこのポジションにコンバートされたが、スピードと豊富な運動量を生かし、カウンター戦術によって生じる広いスペースを走り回った。もちろん運動量だけではない。彼らの技術と戦術理解度、さらにゴールに絡める得点力は、当時のJ2では頭一つ抜けていた。反町新潟の成功は、この二人のコンバートなしには語れない。

 自陣での堅い守備からボールを奪うと、マルキーニョを経由してサイドに展開。そこから手数をかけずに、あっという間にゴールを奪うのが、この年の新潟のスタイルであったが、二つ、三つのパスを高速で、かつ、正確に繋ぐことは口で言うのとは違い、かなりの難易度である。プレミアリーグではモウリーニョ率いるチェルシーが、このスタイルでヨーロッパを席巻したが、この難易度の高い戦術が徐々にはまりだしたのが夏頃からである。5点、3点、2点、4点。面白いように点が入り出した。しかも、点の取り方が美しかった。当時、僕はゴール裏のど真ん中で試合を見ていたが、ボールを奪ってから、3,4人であっという間にゴールに迫り、フィニッシュに結びつけるサッカーの迫力と美しさに魅了された。もちろん、これは、ビッグスワンの音響効果なしでは、その魅力は半減していただろう。ゴールに近づくにつれ、うねりをあげるスタンドの歓声は、相手チームには脅威を、スタンドの観客には最高のエンターテイメントをもたらした。また、当時は、Vゴールというレギュレーションをひいていた。いわゆるサヨナラ勝ちである。僕にとって、未だにその興奮が忘れられない試合である第25節大宮戦、第35節大分戦もこの年の試合だ。当面のライバルとの直接対決で、前者は慎吾が、後者は寺川が延長Vゴールを決め、スタジアム全体を興奮のるつぼに包んだ。特に、あの寺川がゴール後、両手をあげてゴール裏サポーターに向かって走ってきたシーンは、それこそ100年史にも載せるべきショットであろう。いや、表紙でもかまわない。

 気がつくと、毎試合、右肩上がりでお客さんも増えていた。これが最初で最後と思った3万人の観客を目に刻みつけてから数ヶ月。クラブの営業努力と、魅力的なサッカーが相まって、万を超えるお客さんが当たり前になってきた。そして、問題外だった順位も破竹の勢いであげていき、気が付くと、昇格が手の届くどころまで来ていた。

2007年7月31日 14時41分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。