2007.09.18 第29回「礼に始まり礼に終わる」

 楽しい、楽しい3連休のはずだった先週末は散々であった。まず、暑い。蒸し暑いばかりか、日差しまで強い。土曜の昼間は小学校のグラウンドで直射日光を浴び続け、その日の夜は、関屋の少年野球場で大量の汗をかいた。もっとも、ここまでは想定内といってよい。おかしくなったのは、次の日だ。相変わらず暑いのはまぁ許そう。寒ければ寒いで文句を言っているはずだから。
 まず、県リーグ4部の天王山(首位決戦)、ジャパンサッカーカレッジ(CUPS)に1-4の完敗する。本来ならばここで勝利して、今日のこのコーナーには、CUPSとの4年間の歴史を振り返って、我がチームの強化と成長を分析しようと思ったのだが、それを阻止せんとす読者様の念が勝ったのか、自滅型の完敗だった。そして、柏戦の逆転負け。実は、県リーグの試合が終わり、車に乗り込んだときは、1-0で新潟が勝っているのをモバアルで確認していた。ここで、万が一逆転負けでもしたら、今日は天中殺だな、という冗談を飛ばしていたが、その通りになってしまうのはいかがなものか。バルサの中継は相変わらずないし、突然の歯痛で食事も満足に出来ないし、これほどの悪事が重なることはそうあるまい。まぁ、ホームでまさかの3連敗ということで、この週末を笑顔で過ごせた人はそう多くはいないと思いますが。

 さて、前段にチラリと書いたが、最近、また野球をやり始めている。知っている人も多いと思うが、元々、僕は野球少年だった。実弟は、今をときめく東京六大学リーグに進み、3年春のシーズンに打率3割を記録したこともあったが、僕は高校進学時にあっさり野球をやめ、何を思ったのか音楽をはじめたので、アスリートとしては5流ぐらいである。それでも、中学までは野球漬けに相応しい生活を送っており、そこそこチームにも貢献していたと思われる。
 僕は内野手だったが、守備こそ我が生きる道で、実際守備練習は大好きであった。抜けそうな打球を飛びついてキャッチする。柔らかいキャッチから、流れるような動作で1塁に送球をする。それに喜びを見いだしていた。背走キャッチも得意で、足は別に速くなかったから、守備範囲としては並なんだろうけど、自分のところにボールが飛んできたら、全部アウトに出来ると常に自信満々だった。だからサッカーをやっていれば、シュートよりも、きっと柔らかいトラップやボールコントロールが売り物のテクニシャン系の選手になっただろうと自分では思っているが、いつまでたっても上達しない自分のファーストタッチを見るにつけ、その説はあまりにも怪しいので鵜呑みにしないで欲しい(笑)。
 高校時代の野球部連中に誘われての久しぶりの野球であるが、まず衝撃を受けたのが、その自信満々だった守備の崩壊ぶりだ。ゴロをさばく、横の動きが相当鈍くなっているのは覚悟の上であるが、ショックを受けたのが、フライをとれなくなっていることだった。単純な外野フライを追いかけ、落下地点に向かって走るのはいいが、なんとボールがナックルボールのように揺れて見え、どうにもこうにもグローブに収まらない。ドイツワールドカップブラジル戦で、ジュニーニョ・ベルナンブカーノにミドルシュートを決められた川口の気持ちが今ならよく分かるが、客観的に見れば、それはまさに、現役時代笑っていた素人の守備である。専門的なことは分からないが、足腰が確実に弱っていて、昔いとも簡単にやっていたひざの微調整が出来ないんだろう。それとも、単なる動体視力が落ちているのか。何れにせよ、体は年齢よりもずっと若いと思っていただけに、本当にショックだった。不惑のホームラン王門田博光はやはり偉である。

 練習終了後、トンボを使って、みんなでグラウンドをならしたが、もの凄く懐かしく感じた。中学校時代の部活動記憶が急に甦ってきた。そう、僕らの時代は部活動だったのだ・・・

 先週のコラムで、精神主義的なことを批判的に書いたが、僕らの頃の部活動は、精神修行の場という色がまだまだ濃かった。グラウンドに入るときに一礼をし、また引き上げるときにも一礼をする。確か、どこかで読んだ記憶があるが、武道の世界においては、相手に勝つ、負けるは問題でなく、あくまで勝負は己を鍛えるためのもの。そもそもスポーツも、人生修行の一環なのである。だから、その場、機会を提供してくれるグラウンド(武道場)に礼をするのだ、という理屈ではなかったか。
 その点、日本発の武道である柔道や剣道などは徹底してそれが貫かれ、その美しさには心が洗われる思いだ。谷亮子選手の優勝に沸いた世界柔道であるが、礼に始まり、礼に終わる試合形式。勝っても負けても表情を変えず、試合中の喜怒哀楽、判定への不満など言語道断。特に、世界チャンピオンが勝っても浮かれず、泰然自若として相手に敬意を払う姿に本物の強さと敬意を感じてしまうのは、僕もやはり日本人だからだろうか。ファッションで「サムライ」を使うのは結構だが、武士道の美しさはもっと評価されるべきと思う今日この頃であった。

 選手交代の際、グラウンドに一礼をする選手としない選手がいるが、良い悪いの議論は関係なく、彼らの子供時代の姿と、その指導者の顔が浮かんで少し微笑ましくなる。

2007年9月18日 15時22分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。