2007.10.16 第33回「サッカークラブを作ろう(下)」

 黙々とオフシーズンのトレーニングに励んだジャミネイロだったが、ジャミネイロにとって最大の転機が06シーズンイン直前の春に起きた。前年度まで、県1部リーグにいたFC JEROSが正式に解散。そのメンバーの何人かとは元々仲が良く、「もしもの場合はジャミネイロで」、という話も出ていたのだが、それが一気に現実化し、3人がジャミネイロへと移籍してくることになったのだ。ポジションは奇しくも、それぞれFW、MF、DF。いきなり、各ポジションに核が生まれることになった。

 華やかなキャリアを持つ者がいないジャミネイロの中で、学生時から県のトップとしてプレーしていた彼らが周囲に与える影響は大きかった。それまで、攻撃の形がなかったジャミネイロに、彼らはボールを保持して攻撃していこうと提案をした。具体的には、これまで3バックという名の5バックを引いていた陣形を4バックに、さらに中盤をボックス型にする。すなわち、攻撃的な両サイドバックに、サイドハーフをおかず、中盤を流動的にした古典的なブラジルスタイルの4-2-2-2でいこうということになった。こうして、クラブ創設3年目にして、ようやくチーム名に相応しいブラジルスタイルを追求することになる。
 リーグ開幕を前に、6週くらい連続で練習試合を組み連携を深めていった。いや、「深めていった」とは格好つけすぎである。既存のメンバーは、新しいジャミネイロのスタイルを、実戦の場で怒鳴られ、しかられながら、教え込まれていった。僕が中心となってみんなで練習してきたのが、オン・ザ・ボール、すなわちボールを扱う技術だったのに対して、ここで叩き込まれたのが、判断、オフ・ザ・ボールの動きであった。攻撃的なサイドバックを採用するジャミネイロでは、サイドバックはDFとしてよりもサイドの起点、さらにボールキープにおけるトライアングルの一員となることを要求された。中盤の4人は、ボールをもらう位置、距離、体の向きを口やかましく言われた。フィールドの至る所で数的優位を作るための細かい動きを要求された。口で言えば誰でも分かるパス&ゴーという基礎中の基礎も、ほとんどのプレーヤーが実際は出来ていなかった。ただ、フィールドを広く使って徹底的にボールを回す、相手を走らすというチームが目指す形があったから、プレーをする方にもあまり迷いはなかった。
 JEROSからの補強組は、各ポジションに散らばって、実際にプレーをしてみせることで大きな存在感を示したが、それよりも大きかったのが、彼らの持つ勝者のメンタリティがチームに注入されたことだろう。特に、事実上の監督となった西塚章仁の存在は絶大であった。徹底的に勝負にこだわる彼は、練習中だろうが、試合中だろうが、いい加減なプレー、分かっていないプレーに対しては、誰に対しても分け隔てなく、厳しい言葉とともに徹底的にダメ出しをした。もちろん、いたずらに叱責するわけではない。ただ、「自分の出来る範囲で最善のプレーをする」、という判断のミスに対しては特に情け容赦なかった。この厳しい叱責、高い要求に萎縮し、半ば、自然消滅の形でチームを去っていった者も少なくなかった。ちなみに、ゲームプレビューの執筆でお馴染みの浜崎一氏も、「素人か、お前は」の言葉と共に、前半途中交代という憂き目にあったこともあったし、サポーターズコラム担当の森下英矢氏に至っては、センターバックでありながら、前半15分で交代させられたこともあった(笑)。ジャミネイロは、お笑いの香りも残しつつも、戦う集団に変わりつつあった。

 ポゼッションサッカーなんて自分たちには無理だと思っていたが、気が付くと自分たちでもかなりボールを回せるようになっていた。もちろん、JEROSの3人の存在は大きい。ただ、ボールを扱う技術が多少向上してきたのに加え、厳しい練習の中、チーム全員が同じ絵を描け、動きに連動性と意図が出てきたのが要因だった。練習は嘘をつかない。いくら険しくとも、山道を登れば、それだけ上昇しているのだ。
 また、ジャミネイロのサッカーが変わったと時を同じくして、鈴木淳監督率いるアルビレックスが同じようなサッカーを始めたことも決して無視できない。元々、アルビレックスのサポーターを中心に作られたチームであったが、アルビレックスが毎試合展開するサッカーは、僕らにとって、これ以上ない格好の教材であった。内田、マルシオ、エジミウソンが高い位置で形成するトライアングルの妙。センターハーフ2人の視野の広さ、ボールの置き方の巧みさ。千葉、永田、千代反田のアグレッシブさ、強さ。坂本の賢さ、サイドバックとして松尾のセンス、技術の高さ。特に今シーズンのサッカーは見事で、僕らは毎試合、プロ選手に憧れる子供のように見入った。現在進行形でサッカーを勉強しながら観戦するという点では、本当に子供と一緒。個人的にも、今更ながら、サッカーの面白さ、深さが分かってきたような気がした。

 新生ジャミネイロが誕生してから、昇格まで2年の月日を要した。1年目もあと一歩の所までいったが、残念ながら最終節で涙をのんだ。気が付くと、4部リーグも僕らがデビューしたときよりも、格段にレベルが上がっていた。なんせ、1,2年目の僕らに負けたチームが、その悔しさからか(笑)、ことごとく廃部、脱退しているので間違いない。どのチームも強かった。
 ただ、ジャミネイロは、ボールを回し、支配するというコンセプトの下、その言葉に偽りなく、攻撃型のチームに変貌していた。確かに失点は多い。しかし、それでもボール回しで相手の体力を奪い、終盤にしとめる展開で、それ以上の得点を奪っていた。さらに、人的、質的にチーム力が強化された今シーズンは、開幕から安定した戦いを行い、ついに昇格という栄冠を勝ち得たのである。

 さて、この3週を要した、極めて私的なコラムで僕は何を伝えたかったのか。偉そうな意見も、深い意図も全くない。ただ、地元にJリーグチームが出来たということで、どこにでもいる一般の人がどのようにサッカーと関わり、どのように夢を実現させていったかという過程を等身大で描きたかっただけだ。そして、最近、改めて感じるサッカーという競技の楽しさ、地元にJチームがあるという幸せ感を描いてみたかった。
 今年度のジャミネイロにも、サッカー未経験者は二人いる。何れも野球出身で、プレーを始めたのは、J2元年以降であるが、タニホフは10ゴールをあげ、チーム得点王になったし、39歳の僕にしても、少しは戦力として見られているようだ(今年度も先発数試合)。「サッカーは子供を大人にする」という有名な格言がある。サッカーは1人では勝てない。チームプレー、共通理解が欠かせないサッカーの世界に身を投じて、改めて深く感じる言葉であるし、夢や目標を持って真剣に取り組めば、年齢や能力に関係なく、人間は成長できるのだというのを身をもって実感したところだ。

 もちろん、僕らのチャレンジは終わりではない。当面の目標としては、未だにリーグ関係者に「アフロさん」、「アフロスターさん」と恥ずかしい呼び名で呼ばれているところを、「ジャミネイロ」に正したいことがあげられるが、2部昇格を目指して、また、自分が教えているクラブの子供には僕の拙い経験や知識を生かして、サッカーの面白さ、素晴らしさを伝えていければと思っている。全てはアルビレックス新潟の誕生に起因した出来事だ。これに感謝して、今日も僕は風と共に蹴りゆく。

P.S. 宣伝です。現在全国の書店で発売中の某Jリーグ雑誌に、アルビレックス新潟が昇格を決めたあの試合の長文ドキュメントを書かせてもらいました。ニイガタ現象に寄稿したものをベースに、大幅に加筆、修正したものです。改めてあの頃の記憶と感動が甦ると思いますので、興味を持たれた方は是非一読を。

2007年10月16日 13時26分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。