2007.10.23 第34回「文武両道」

 先日、新潟県ラグビーフットボール協会の会長である三膳惣一さんの話を伺う機会があった。スクールウォーズなどの数々のドラマの舞台になったラグビーも競技人口が減少。高校のラグビー部も数がかなり減っているらしい。軽薄短小の世の中、かつて流行った3K(きつい、汚い、危険)を彷彿させるラグビーなどのコンタクト系の競技が敬遠されるのは、ある意味時代の流れとはいえ寂しい限りだ。

 ラグビーは、昔から公立校、特に進学校の健闘が目立つ競技である。One for All(1人はみんなのために)、All for One(みんなは1人のために)で知られる、自己犠牲の精神が彼らの中で育まれやすいのか、例えば、大阪がラグビー最強の地であることにあまり異論はないであろうが、天王寺高校や北野高校などのメガレベルの進学校が大阪代表として全国大会に名を連ねることも少なくない。北野高校のラグビー部を、淀川の河川敷で見かけたことがあるが、滅茶苦茶鍛え抜かれたいい体をしていた。見るからにアスリートである。僕の母校も、僕が在籍時に2年続けて花園出場を果たしたが、抽選前に、「間違って大工大高とかとあたったら殺される。怖い。仮病使っていい?」とリアルに怯えていたのを思い出したのは言うまでもない。そういえば、北野高といえば、テレビでお馴染みの橋下徹弁護士が、高校時代に花園に出場したのも有名な話である。もっとも、僕と同世代とはいえ、当時の記憶が全くないのは言うまでもないが。

 ところが、ここにも少子化の流れであろうか、最初の話に戻るが、進学校の部員の減少、衰退が目立つそうである。三膳さんの母校でもある新潟高をはじめ、新潟の公立進学校はどこも受験校になってしまったようで、そんな目先のこと(受験、進学)ばかり考えていちゃダメだ。本当に出来る者は、昔から勉強もスポーツも両方出来たし、それを両立させようと頑張った。そういう文武両道の精神が失われつつあるのが嘆かわしい、と三膳さんは結んでいた。講演のテーマは、「ラグビーの魅力」であったが、協会の会長として、競技ピラミッドの底辺の低迷に頭を痛めているのだろう。最後は「ラグビーの魅力」とは関係ない話になったが、僕は大いに納得し、頷いた。

 前にも書いたが、僕は中学時代は野球部だった。どこにでもいる普通の選手だったが、自分はもちろん、周囲も、高校に進学したら野球部に入るものだと思っていた。高校に入学して1,2週間経ち、そろそろ部活動にも顔出さないと、と思っていた頃、野球部入部希望の奴らがこぞって、今日行こうという話になった。ところが、その日はとても寒かったのだ。僕は、1人、「今日は寒いから来週にする」と言って、チャリにまたがり家路を急いだが、それが、ジャミネイロの篠崎監督就任同様、僕の人生のつまずきの始まりだったとは当時誰も知らない。

 中学時代の部活漬け、その後の受験のプレッシャーから解放された日々はバラ色だった。楽を知ってしまった体は、精神鍛錬の場であるグラウンドに体を向けられず、そのうち、どういうわけか、楽器が出来るということで音楽部に引っ張られる。軽音楽部があるのに、音楽部とはこれいかに。軽音楽部がジャズを好む優等生の集まりだったのに対し、予想通り、音楽部はろくでもない変人の巣窟だった。第一、誰が部員だったのかも未だによくわからない(苦笑)。人格、肉体形成において、もっとも大事な時期をひたすらダラダラと過ごした。自由を履き違え、その日さえ楽しければどうでもいいような自堕落な高校生活が始まったのである。僕は完全に没落した。

 実はどうして、MSNのコラムでこんな話をしているかといえば、三膳さんの話はもちろん、現在、この秋に予定されている高校の同窓会(同期会)の実行委員として奔走しており、卒業以来となる母校の訪問等で、現役の学生達の姿を多く拝見し、また、同期から続々と届く近況報告の手紙の束を見ているうちに、自分の情けなかった高校時代を思い出してしまったからである。
 高校時代に目標も特になく、だらけた生活を送ってしまった僕は、かつてグラウンドで培った「貯金」を使い果たし、ある目標のためになにかを犠牲にするような気概もなくしてしまったようだった。だから、大学受験勉強においても、緊張感の欠如からか、ひたすら机の上で眠り続け、部活を引退した仲間が気持ちをあっという間に切り替え、勉強に励んでいるのと対照的に、いつまでたってもスイッチは入らなかった。部活一色だった中学時代、負けん気の固まりで、試験時期になれば、歯を食いしばってベットから抜け出して机に向かった根性は消え失せ、惰性と妥協の塊になっていた。18の段階ですでに、奥田民生の歌のようにマイペースで、なるようになれの、のらりとした人生を送りはじめていたのである。
 
 少し前のコラムで、ジュニアユースの子どもの大変さを憂いたが、撤回しよう。自分の夢は自分で努力して切り開くしかない。嘆くより先に、なんとかする方法を自分で見つけるしかない。僕のように楽を覚えてしまうとダメだ。そういう生活が普通だと思えば、何の苦もないし、絶対将来の財産になる。
 今回のタイトルが、文武両道であったため、勉強との両立みたいな形で書いてしまったが、言うまでもなく大事なことは目標を持って日々を過ごすことだと思う。1流と言われる人は、皆それが出来るわけで、「あの頃は子供だった」の一言で、自分の学生時代を悔いても時すでに遅しだ。ちなみに、Jリーグ選手協会のこのページは面白い。新潟からは内田選手と、千代反田選手が話をしてくれているが、多くの学生にこのページを読んでもらい、自分の中で生かして欲しいと、本当に思っている。タイムマシーンがあったら、あなたはどの時代に戻ってやり直したいですか?

2007年10月23日 10時36分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。