2007.11.20 第38回「監督という商品」

 「どうしてフラビオがアップに??」と少なくとも5回は思ってしまった。横浜FC戦は、自宅でのスカパー!観戦だったが、横浜FCのジュリオレアル監督がカメラに抜かれるたびに、同様のことを叫んだのは僕だけではあるまい。就任して以来、天皇杯以外は未だ白星無し。しかも、ほとんど点が取れていない。監督をしていてこれ以上のストレスはないであろうが、ジュリオレアル監督は某国首相のように途中で任務を放棄することなく、また、某高級料亭のように責任を選手にかぶせることなく、プロ監督としてベストを尽くしていると思う。よそのチームのサポーターのこんな無責任な発言に、横浜FCのサポーターから猛反発があるかもしれないが、少なくとも僕の目にはそう映るのだ。もっとも、こんな当たり前のことを取り上げていること時点で、自ら、プロスポーツ界においてあるはずのない「ゆがみ」を認めていることになるのだけれども。

 そんな、ジュリオレアル監督は、記者会見でも潔い。並の監督ならば、微妙だったPKの判定についての不平不満で始まるはずが(実際、このPKが決まるまでスコアレスドローを覚悟していたし、ビデオで見る限り山口の足がかかっていたかは微妙)、相手の監督が一枚上手だったことを素直に認めるとともに、僕らに采配の妙、指揮官同士の駆け引きというものを教えてくれた。お金をもらってチームの監督をしているのであるから、もちろんプロなのであるが、改めてその言葉を噛みしめてしまう次第だ。

 というのも、都合の良いときにだけプロという言葉を用いていないかと聞かれると、結構胸にグサリとくる人が少なくないと思うからだ。勝っているときは、あまり問題はないだろう。負けると自分なりに分析をはじめ、それが自分の意志に反したり、そうじゃなくても単なる結果責任で激しく糾弾したりするが、その時に都合良く使われるのが、プロなんだからという大義名分である。プロだから批判されて当然、そしてそれを甘んじて受けるべき。なるほど、もっともな面もあるのだが、残念ながらそこにリスペクトがあまり感じられないことも多いと思う。
 サッカーは判断のスポーツといわれるように、試合中に、様々な判断がフィールドの至るところで要求され、実行に移されている。ゴールや失点はそれらが複雑に絡み合い、そしてちょっとした偶然も悪戯して生まれるものだ。また、上手い者を集まれば、それでチームが強くなるとは限らず、それよりも選手の組み合わせでチーム力がガラリと変わることの方が多い。つまり、絶対の正解がないゆえ、誰もが監督になり得、それゆえ自分の愛するチームの監督は常に批判の対象になる。選手起用に始まり、交代のタイミング、採用した戦術など何でも口に出す。
 「ピアノの先生の指導については誰も文句を言わないのに、サッカーの先生の指導に対しては誰もが文句を言ってくる」僕の知り合いのサッカー指導者は、こういってサッカー監督の悲哀を苦笑いしながら語ってくれたが、反面、これが万人を惹きつけるサッカーの最大の魅力であるのは言うまでもない。

 サッカーの指導は、本当に経験がものをいうのは言うまでもない。机上の論理だけで成立するならば、市井のゲームオタクが名監督になれる可能性はもちろん、学者出身の金融大臣が見事な経済政策を打ち出し、この国の経済もよくしてくれよう。だが、その通りにならないのが現実の社会である。日々のトレーニングはもちろん、人心掌握術、自分の考えを正確に伝えるアウトプット技術もトライ&エラーで学んでいく。もちろん、最初からそういう才能を持った人もいるかもしれないが、多くはトライ&エラーを繰り返し、俗に言うオープンマインドと学習能力を持った人間が指導者として残っていくものだと思っている。僕も、ジュニア指導のまねごとのようなことをしているから少しは分かるつもりだ。毎日、毎日、自分の力の至らなさに絶望するが、それでも少しはよくなろうというモチベーションが僕を支えている。

 日本では、一度指導者として失敗すると、失格の烙印を押されてしまうことがまだまだ多いと思う。海外を見ると、頻繁に監督が解任される一方で、まるでパズルのピースが動くかのように、その直後に別のチームの監督に収まったりするようことも多い。その節操のなさに呆れることもあるが、チーム作りに失敗したからといって、それが監督の資質だけに起因するものではなく、チームの相性を含めた様々な要因が絡んでいることを誰もが知っているのだ(日本でも、浦和→FC東京→FC東京と歩んだ原監督の戦歴をみれば納得するだろう)。言葉は悪いが、捨てるチームがある一方で、その能力を高く買ってくれる人がいるわけである。まさにプロの監督であり、そういう意味で商品であり、そこにリスペクトの念があるのは言うまでもない。

 報道を見る限り、ジュリオレアル監督が来年も横浜FCの指揮を執ることはなく、また日本を離れる可能性も高そうである。新潟だって、鈴木監督に続投要請をしているという話は聞くものの、どうなるかは分からない。クラブは自分たちの目指す方向性に照らし合わせてその商品を買うわけである。これまでやってきたサッカーを熟成させるのもよし、この辺で劇的に変えようという考え方もよし。ただ評判がいいからとか、値段が高いから間違いないだろうという安易な理由で買うと痛い目にあうのは実社会でも同じである。
 新潟も、ここ数日急激に冷え込んできた。まもなくストーブリーグの季節が始まる。選手だけでなく、プロ商品としての監督のメルカート(市場)にも注目して欲しい。奇しくもオシムが倒れた今、彼らの商品価値はもっと評価されてしかるべきだし、リスペクトしなくてはならないと思うのだ。

2007年11月20日 12時31分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。