2007.12.04 第40回「Adeus e Obrigado」

 J1デビューを目前に控えた2004年の2月、新潟フェイズで、「コッパ・エジミウソン」なるサポーター対抗のフットサルイベントが開催された。初めてのJ1を戦うにあたって、攻撃の核としてクラブが選んだのは、J1昇格の立役者であるマルクスではなく、ブラジルの名門パルメイラス期待の若手、若干21歳のエジミウソンだった。ところが、チームはブラジルキャンプ中で、肝心のエジミウソンのプレーは見ることが出来ず、それどころか、入ってくるのは早くもホームシック状態という冴えないものばかり。そういうわけで、エジミウソンを励まそうと、強引にエジミウソンの名を冠にしたイベントを作ったのであった。チームの地力も、選手層も薄い当時の新潟にあって、ブラジル人FWは、まさにチームの生命線であったのである。

 もっとも、この話、少々オチがあった。確かにチーム合流直後のエジミウソンは、「どうして、俺がこんなところに・・」モード全開で、かなりふさぎ込んでいたらしいのだが、契約のため一度日本に行くと、あまりの都会っぷりにいきなり豹変。ノリノリでブラジルキャンプに戻ってきたらしい(笑)。また、あまりにタラタラ走っているように見えたため、チーム内でも、「あいつ遅い」という疑惑の声が持ち上がっていたそうだが、ダッシュのタイムを計ってみると、異次元の速さ。そんなフェイク連発で、新潟のエジミウソンは誕生した。

 フェイクといえば、デビュー直後のエジミウソンは悲惨だった。日本のサッカーに馴染まず、といえば聞こえがいいが、要は日本人を、日本のサッカーをなめていたのかもしれない。記念すべきホームデビューとなった神戸戦では、運動量も少なく、前線で孤立。また、ボールもキープも出来ないばかりか、自慢のスピード勝負でも土屋に勝てず、彼を本当に心待ちにしたサポーターを大いに失望させた。その翌週、あまりにもドラマチックな柏戦でのロスタイム2ゴール逆転劇の立役者となったが、状況はあまり変わらない。それでも、気がつくと、いつの間にかチームにフィットし、彼の技術も上手くなっていたから不思議だ。スピードの速い日本のサッカーに慣れたこともあっただろうが、何よりも日本で成功したいという向上心と謙虚さを持ち合わせていたのだろう。元々、守備意識も高く、前線からのチェックをさぼらないエジミウソンは、高い位置でボールを奪うという新潟の基本戦術にもマッチし、また、そのキープ力と決定力は、期待通り、新潟オフェンスの核となった。特に、戦力とチームの戦術理解力が一気に花開いた今シーズンは、エジミウソンの能力がいかんなく発揮されたシーズンだったと言えるが、エジミウソンについては、新潟というクラブが成長させたという思いもサポーター間に少なからずあるはずである。

 シーズン途中から、今シーズン限りで新潟を退団するのではないかと噂されていたエジミウソンであるが、彼が当然要求するであろう金銭的待遇と、クラブ内外の様々なバランスを考えると残留は難しいのではないかと思っていた。彼の4年間の実績を考えれば、超優良株として国内クラブが食指を動かしてもおかしくないし、まだ25歳という年齢を考えれば、別な国でステップアップを図る手段もあろう。だから、半ば既定路線みたいになっていたが、それでも、最終戦終了後、間髪入れずにとどいた退団のお知らせを聞くと、やはり寂しさがこみ上げてくる。

 新潟のような歴史の浅いクラブは、外国人選手の出来如何で順位が大きく左右されることが多い。その点、常に優良な外国人選手を獲得してくるスカウトは、4年間J1の舞台に生き残り、それどころか今シーズン待望の上位進出を果たした新潟の最大の立役者なのかもしれない。新潟は本当に、外国人選手に恵まれている。多くのゴールでスタジアムを歓喜と歌声で包んだマルクス。日本人として登録すべきだったファビーニョ。今年のチームでこそ試してみたかったリマ。その卓越したキープ力で新潟のサッカーを変えたシルビーニョ。そして、マルシオ。
 来シーズン、少なくとも外国人選手のうち2人は入れ替わるわけで、これはある意味最大のギャンブルといえよう。理想は日本人だけで強固なチームを作ることであろうが、卓越した個人技とリズムを持つ外国人選手は欠かすことの出来ないフィールドの華である。今年のマルシオも、まさかの大ヒットだったではないか。キャンプイン前には発表されるであろう、新たな仲間のアナウンスを楽しみにして待ちたい。

 Adeus &Obrigadoエジミウソン、シルビーニョ。そして、ようこそ、まだ見ぬ仲間よ。きっと、君も偉大な先人同様、新たなレジェンドを築いてくれると信じている。

2007年12月4日 13時07分

PROFILE of 浅妻 信(あさつま まこと)
1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。