2005.05.30 僕らが失った2つのもの

 少し前のFM番組で、本年度のナビスコカップの仕組みがいまいち分からず恥をかいた私だが(2位以上は無条件で勝ち抜けと思っていた)、4戦目を迎えるこの日の対決は、2位、3位の直接対決ということもあり、凄く重要なんだということはよく分かっていた。相手は大宮。開幕から3ヶ月しか経っていないのにも関わらず、既に3回目となるこのカードに、当初感じていた懐かしさはすっかり消えさり、それどころかやや食傷気味だが、天候にも恵まれ、気持ちを新たにスタジアムへ向かう。

 さて、パラグラフを変えても繰り返すぐらい、この日の直接対決は極めて重要である。現在3位の新潟はもちろんのこと、2位の大宮もほかのグループリーグの結果次第ではその道を阻まれるため、両チームとも勝ち点3が欲しいところ。いや、新潟に至っては、この試合を落としでもしたら可能性はゼロになると言い切れる。J2時代は、J1チームと戦えることしかその魅力を見いだせなかったこのカップ戦だが、今年の開幕前、密かに上位進出を狙っていたのは僕だけではあるまい。そういうわけで、試合は序盤から両チームがプライドをかけた、火花飛び散る熱い試合となったのである。

 と、感じた人がいたら、是非お目にかかりたい(笑)。

 このように、僕が無理矢理盛り上げた試合だったにもかかわらず、春の好天が邪魔したのか、3ヶ月で3回目というヘビーローテーションにプレーしている方も満腹感を覚えたのか、カップ戦のモチベーションなんて所詮こんなものなのか、スタンド、ピッチともゆるゆるの退屈な試合だった。特に前半の退屈さ、両チームのミスの多さときたら、僕が戦っている県リーグ並み、いや、娯楽性の欠如という意味ではそれ以下だっただろう。一緒に観戦していた友人が僕の列で居眠りしている人を数えたところ、2人を視野に入れたらしいが、少なくとも県リーグで居眠りしている観戦者を見かけたことはない。
 両チームともシュートはおろか、ペナルティエリア付近すら容易に近づけない。そこに至る前に単純なパスミスでボールを失う。スタンドの雰囲気も、ミスに反応するため息だけがやたら目立つマイナスオーラに包まれたなんとも寂しいものだった。スペインでは抗議の意思表示として、ブーイングと共に白いハンカチを振る習慣があるが、こういう日こそ、試合途中に白いハンカチが振られるべきであった。次々とスタンドに咲き始める白い花。観客参加型のテレビ番組「欽ちゃんの仮装大賞」を見ているかのような展開に、副審が欽ちゃん走りでタッチラインを走った方が、プロの興業として余程沸いただろう。

 選手もさすがにこれではやばいと感じたのか、後半になると、多少、プロの試合らしくなっていった。シーズン当初どうなることやらと思った海本弟(幸治郎)だが、運動量の豊富さとアジリティ能力でゲームに絡み出し、サイド、中盤と自在に動き、これまでの新潟にない攻撃パターンを生み出していた。
もうちょっとすれば、幸治郎とリマが完全にフィットするのではないか。直樹と慶治が組むCBコンビの安定性と強さを見る限り、レギュラーはこの2人で固定されるのではないか。ファビーニョの同点ゴールを挟みながらそんなことを考えていたときに、悲劇は起きた。バイオリズムがあわない日はやはりうまくいかないように出来ているようである。船越優蔵が倒れた。

これを執筆している現在、まだ正式なアナウンスは出ていないが、複数筋の情報によるとアキレス腱断絶の大怪我のようである。結局は昇格を逃すことになった2002年の秋の大一番、優蔵は自分を解雇したクラブの本拠地で同じ怪我を負って倒れた。闘志をむき出しにするこの男のこと、この試合にかける決意は並々のものがあり、アキレス腱を断絶したにもかかわらず、彼は立ち上がり、プレーを続けようとした。そして、担架で運ばれている間も、彼は悔し涙を流していた。
 プレーと関係ない話で恐縮だが、プライベートで仲の良い僕の友人の話によると、彼ほど、男気があり、慕われている人間はいないという。礼儀正しさ、人を立てることの出来る気配り、ムードメーカー。これらを全て兼ね備えた男が、一個人としての船越優蔵だった。男が惚れる硬派。僕の友人は、このシーンを見たときから試合そっちのけで彼の容態を案じていた(彼は見た瞬間から大怪我を確信していた)。リハビリ期間だけではない、昨年なかなか試合に出られず苦悩していたことから、ようやくレギュラーポジションをつかみかけた現在までを良く知る彼のことだから、彼の心情、ショックが誰よりもわかるのだろう。後日談で恐縮だが、この晩、優蔵は一人号泣していたという。

 試合はドローに終わり、次のステージに進むことは難しくなった。僕が密かに狙っていたカップ戦での上位進出という夢が潰えそうだが、センターフォワードまで失うのは想定外であった。しかし、これはプロの競技である。センチメンタルに浸る暇はなくリーグ、試合は続いていく。僕のような者が、頑張れという安っぽい声を掛けるのは、あまりに無粋で失礼だろう。

燃えろ船越。
やはり、チャントでも使用されているこのフレーズが彼には似合う。君なら、そのファイティングスピリットで、怪我を乗り越え、またレギュラーポジションを取り返すことが出来るだろう。僕たちはみんな信じている。

2005年5月30日 浅妻 信

PROFILE of 浅妻 信
あさつま まこと 1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。