2005.07.11 HOT!HOT!な寺川能人

 HOT6の第三戦である千葉戦は、初の試みのネット観戦であった。お金がかかることと、放送のコンディションが不安だったため、大人しくテレビで東京ダービーを見る選択肢もあったのだが、やはりどうしても見たくなり、試合途中で入会を決意。これまでラジオでしか窺えなかった状況が絵で入るということは誠にありがたい。
 ところが、このネット放送、私のノートパソコンがひ弱なのか、肝心なところでよく止まる。音声の方が先に復活するようで、フリーズ後、大声援が聞こえてきてゴールを知ったということがこの日も何回もあった(また、憎いぐらいゴールシーンに絡んでよく止まった)。もっとも、言うほどには止まっていなかったし、静止画像をみながら、みんなでボールホルダーの次のプレーの選択を予測するのはそれなりに楽しい(やや無理があるが)。次のC大阪戦も、ライブ配信があるようなので、こちらは事務所のハイスペックなパソコンでチャレンジしてみようかと思っている。

 テレビで見た限りであるが、やはり千葉の動きの質は高かった。新潟は先制こそしたものの、浦和戦と同じく、ボールを支配され、特に相手ボランチの位置で自由に回される。もっとも、そこから入ってくるボールをしっかり跳ね返し、そこから速攻に繋げればそれこそチェルシースタイルで、逆に新潟の思うつぼなのかもしれない。しかし、千葉は、敵陣にはいると、それぞれが第3、第4の動きを予測して、動き出しの早さ、鮮やかなパス交換で新潟のチェックをはずし、フィニッシュに結びつける。特にグラウンドコンディションも頭に入れてのことだろうが、サイドからのグラウンダーの速いクロスは、その精度に加え、何人もがエリア内に突入してくる状況等、敵ながら実に見事であった。
 実際プレーをしたことがある人なら経験的に分かると思うが、ボールを回されるほど体力を奪われることはない。過密日程の中でのアウェイゲームということもあっただろうが、これまた浦和戦と同じく、リードを90分守りきれず逆転負けを喫してしまった。
 反町監督が自ら勝負所と名付けたHOT6も半分を終了した。ここまで1勝2敗。強豪とのアウェイゲームが含まれているとはいえ、そして、毎試合得点を奪っているとはいえ、勝負所にしてはやはり寂しい。間もなく、リーグは折り返しを迎える。HOt!HOT!な7月にするためにも連勝は絶対必要。こんなところで、スベってはいられないのである。

 さて、前ふりで書いたつもりの千葉戦が思わず長くなってしまったが、今回取り上げようと思ったのは寺川の活躍である。
 寺川はご存じの通り、2000年から新潟に在籍する(1年間だけ大分)、新潟のクラブの歴史から言えば、生え抜きの選手である。もっとも、今だから言えるが、新潟に来た頃はサポーター的にそれほど期待されていた選手ではなかった。もともと愛想のある感じではなかったし、肝心のプレー自体も特段光るものはなかったのである。
 そんな寺川が一躍注目され始めたのは例の浦和戦からであろう。いわゆるドッチボール事件の標的となったこの試合を境に、当時の新潟では群を抜く技術で、中盤のエースとなった。ポジションはダブルボランチの一角。そこから長短交えたパスで、ゲームメイクを担ったのである。
 そういうわけで、反町体制の1年目。いきなり右のサイドアタッカーにコンバートされたことに異論を唱えるサポーターは少なくなかったが、すぐにそれは過ちだと気づかされる。抜群の運動量、スピードを生かした楯への突破、かと思えば中央に切れ込んでの左足シュート。もはやJ2では敵なしで、当時J1を目指す僕らサポーターの期待をのせて寺川は毎試合獅子奮迅の活躍をしていた。大分戦でのVゴール後、ムンクの叫びのように両手を上げ、ゴール裏にダッシュしてきたシーンは、僕にとって永遠のベストショットだ。

 先日の神戸戦における寺川のパフォーマンスは、そんな神だったJ2時代の彼が戻ってきたようなハイレベルなものだった。3トップを採用する新潟においては、中盤の3枚にかかる負担はかなり大きい。しかし、それこそ、抜群の運動量とスピードを誇る寺川にとって最適のポジションなのだろう。長身痩躯の体型でフィールドを躍動する姿は紛れもなく美しく、そして力強い。ボールをターンしてスペースメイクする動き、左足インサイドによる高速スルーパスなど、今更ながら「惚れちゃいそう」であった。

 思えば、自身の応援歌を複数持つのは寺川一人。誰もが不遇だった2000年から僕らと共に戦ってきた寺川には特別な思い入れがある。この夏、HOT!HOT!な怒濤の巻き返しは、16番寺川能人が牽引するのだ。

2005年7月11日 浅妻 信

PROFILE of 浅妻 信
あさつま まこと 1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。