2005.05.23 緩やかだらけの代表戦

 「前半は緩やかなペルー代表のペースです」
まるで経済番組を見ているかのような珍実況が僕の耳に入る。アナウンサーは余程気に入ったのか、得意げにそのフレーズを連呼している。僕は疲れていた。珍しく土日出勤まで突入し、その結果、代表戦はもとより、ナビスコ浦和戦もライブで見ることができず、この日も僕の日常の定位置である事務所の机でテレビ観戦していたはずだが、単調な試合展開にちょっとうたた寝をしていたようだ。
 緩やかなペースってなんだ?結局のところどんなやねん。こういう禅問答のような自問自答を繰り返した時点でこのアナウンサーの手に落ちてしまったわけだが、ともあれこの敗北と引き替えに目を覚ますことが出来たから良しとしようか(しかもヒトリデデキタ!)。テレビ画面にはいつもと違う青色に染まった新潟スタジアムが映し出されていた。おー、なかなか新鮮だ。こちらも代表モードへの転換が見事に出来ていたのである。

 1年半ぶりの新潟での代表戦ということで、金曜日から旧知のサッカー関係者が続々と新潟入りしており、幸いに彼らと酒席を設けることができたのだが、彼らですら、試合目前であるにもかかわらず、一様に、この試合に対してどうモチベーションをあげていくかを模索していた。しかし、ハーフタイムに映されたスタンドの様子を見る限り、そういう心配は無縁だったようである。ハートマーク付きの「LOVE MIYAMOTO」の手製のメッセージボードが、どうペルー代表に脅威を与え、どう宮本の頭脳にファイティングスピリットを注入するかわからないが、彼女たちは今日の試合内容でも充分な満足を得られただろう。
 
 JFAに巨万の富を落とした代わりに多くのものを失ったとされる代表のブランド化だが、幸か不幸か、新潟もいっぱしのサッカータウンになっており、その流れを汲んでいるようである。すなわちクラブチームと代表は別物という棲み分け。この日本において、ライバルチームの選手など絶対応援するものか、という極端なまでのクラブ至上主義者はさすがに少ないと思うが、それでも、決して安くはないチケット代金と対戦相手、相変わらず代わり映えのしないメンバーを天秤にかけ、テレビ観戦を選んだ人は少なくない。今回に関して言えば賢明な消費者行動だったともいえるが、ともあれ、腹を空かした頭の悪い犬のように見境なく飛びつくのではなく、試合を選別できる人間が増えてきたのが、頼もしく思える。
 聞けば、スタンドの客層はもちろんのこと、公開練習等で見かけるメンツもアルビレックスのそれとは全く違っていたという。でも、これはクラブ至上主義者にとっても、そう顔をしかめるばかりのものではないだろう。あなた自身がかつてそうであったように、このうちの何割かがサッカーの面白さに目覚め、スタジアム通いを始めるかもしれない。また、そういうサッカービギナーではない、むしろ、玄人であったからこそ乗り遅れてしまったプレーヤー層(サッカーがまだ不遇の時代に現役生活を送ったため、猫も杓子もアルビレックスの時代にそのまま入っていくのは抵抗がある)を引き戻す契機になるかもしれない。現在新潟スタジアムを埋める4万人のお客さんが未来永劫続くと思うほど新潟の人もお調子者ではないだろう。スタジアムから去る人もいれば、新たに入ってくる人もいる。こうしたフィルタリングこそが未来永劫続けられ、スタジアムの雰囲気、ひいてはクラブカラーというものが作られていくものだと思う。

 と、まるで我が国の代表戦を、あたかも他人の祭りのように語ってしまったが、これもやはり、代表に新潟の選手が入っていないことに大きく起因していよう。クラブが次のステップを目指すには、上位進出を果たすだけでなく、クラブの顔としての選手が必要だというのは多くの関係者が指摘するところ。もちろん、宇都宮徹壱氏が解き明かしたジーコを家長とする家父長制度が継続する限り、その道は限りなく険しそうだが(なんせJリーグであれだけ点を取りまくっている大黒ですら、家長にかかれば実績不足らしい)、新潟において、このまま多くの人間が代表に肩入れできないのはサッカーファンとして純粋に不幸である。
 今の新潟で代表に近いと言えば、昨年のチャリティマッチで、「こんな選手がいたとは驚いた」と評された慎吾、そして、チーム史上最高の期待で迎え入れられ、先日の浦和戦でようやく復帰した海本幸治郎か。ただし、代表サポーターならずとも嫌と言うほど見せつけられているジーコの頑固さ、ある意味感服させられる信念を見る限り、来月あたりJの試合でキレキレの慎吾を見ても同じセリフを素で吐いてそうで、逆にこっちが驚かされそうであるが。

 本来、代表監督たる者、凡人には想像できない切れ味鋭い采配と慧眼で、僕らを魅了すべきである。緩やかなのは、迷言を吐いた実況アナの思考回路にとどめてもらい、代表監督の頭まで、20年以上前の古き良き思い出に緩やかなペースで浸っていては困るのだ。第一、あなたが目標とするチーム、2次リーグ敗退でしたからぁ!

追記

僕の7歳になる息子が母親に連れられてこの試合を見に行った。子供らしく、代表グッズを欲しがったそうだが、母親の勧めるメジャーどころを一切拒否し、大黒1点買いで31番のTシャツを買ってきた。確かに、彼には幼少時からサッカーを教え込んでいたが、子供のピュアな視線の方が本質を突いていることはままあることだ。
彼の部屋の壁には、昨夜寝る間に、親にねだって飾ってもらった31番が誇らしげに輝いている。

2005年5月23日 浅妻 信

PROFILE of 浅妻 信
あさつま まこと 1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。