旦那が急に「広東飯店の天津飯かカレーが食べたいなぁ」と言い出しました。広東飯店とは新潟市の寺裏通にあった大変美味しい中華料理店です。一年半程前に惜しまれながらも閉店してしまったため、もうあのふわふわの天津飯も、辛味と甘味のバランスの良い本格カレーも、食べることができない味となってしまいました。
広東飯店を思い浮かべたとき、「ああ、ジダンと同じだ」なんて思ってしまいました。プロを辞める理由が、同じだなぁと思ったのです。
人伝えに聞いた話ですが、お店を閉める理由は「店を切り盛りする体力が無くなってきたから」とのこと。ジダン選手がプロを辞める理由は、90分間自分の技術を発揮し続けるだけの体力が無くなったと感じているからのようです(発表の内容から察するに)。どちらも、仕事をしている限りはそのすべての時間において100%の力を出したいと考えるタイプの人なのではないでしょうか。
お店ならば他の人を雇って指導しながら続けることもできたのではないかと思うし、サッカー選手ならば下部のリーグでサッカーを続けるという選択肢もあります。そんな風に50%の力で仕事を続けることも可能だったのではないかと思うのです。たとえ今までと同じ仕事はできなくても、その代わりに後輩にその技術と経験を伝えるという重要な仕事をすると考えることもできるわけですし。しかし彼らは「今までやれていたことができないならば、プロとして続けるべきではない」という判断を下したようです。
W杯でのフランスの試合、ジダン選手の動きをテレビで見ている限りでは、90分間(時には延長も)しっかり走り、パスや判断力の精度も落ちずにプレーしているように見えます。チームの核としてこれだけ機能している選手が辞めてしまうというのは本当にもったいなく思います。まだまだトップリーグでプレーできるんじゃないかとも思います。
しかしながら、ジダン選手は「これが最後の試合だから」というモチベーションがあるからこそ、あれだけのパフォーマンスができているとも考えられます。リーグ戦のように先のことを考える必要がなく、ここで倒れてしまってもいいと思えるからこそ、最後まで走り切れたのだなぁと今は思っています。
さて、中田英寿選手も引退を表明しました。そのニュースを聞いた直後は、「彼はまだ若いし、他の選手がバテても最後まで走り切るだけの力がまだあるのだから、辞めるなんてもったいない」と思っていました。が、半年程前から引退を考えていたと聞いて、ここでもまたジダン選手のことが思い浮かびました。中田選手もまた、「これが最後の試合だから」というモチベーションで走り切っていたのだと思えたのです。ただ、「今までやれていたことができないならば、プロとして続けるべきではない」という判断で辞めるのではなく、「これ以上やっても伸びると思えないから、他のことに力を注ごう」と考えたからのように思えますが……。
その考え方は、アルビレックス新潟前監督の反町康治氏が現役を引退したときの考え方に似ている気がします。中田選手が今後どのような道に進むのかは分かりませんが、今は監督になる気がなくとも、何かの縁で10年後にどこかのチームの監督になっている可能性はゼロでは無いと思っています。
……と淡い期待を抱いているのは、税理士とか会社経営をしている中田英寿より、サッカーチームの監督をやっている中田英寿が見たいなぁと、単に私が思っているからなんですけどね。日本代表の練習風景の報道などで、他の選手(FWからDFまで)に「こう動いた方がいい、ああ動いた方がいい」と意見を言っているのをよく見ますが、チーム全体の動き方について頭のなかでそれだけ構築してしまえるなら、結構その職業に向いているんじゃないかと思うのです。引退表明に「ちゃんと伝わらなかった」と書いてあったのが少し気になりますが、その辺の技術はこれから勉強していただくということで。
七夕は過ぎてしまいましたが、星に願いを。彼がやりたかったサッカーを、いつか見られますように。
2006年7月10日 水野 栄子
PROFILE of 水野 栄子
みずの えいこ 1972年生まれ。新潟市出身。小学生の時に「キャプテン翼」の影響を受けサッカーをやりたくなるも、地元はサッカー不毛の地であり断念。1999年、アルビレックスの観戦が縁で浜崎、岡田の両氏と出会い、サッカープレイヤーへの道が開ける。現在は仕事と家庭とLSS(レディースサッカースクール)通いの両立に頭を悩ませている。