先週の日曜日の戦いをもって、我がジャミネイロは県リーグの全日程を終えた。最終戦は攻守がかみ合い快心の勝利。どこぞのプロチームも、試合終了後、言い争いの喧嘩になっていたそうだが、そんなものはレベルが違えど、サッカーチームであれば日常茶飯事。僕らのチームもそうだが、そんなくだらない口喧嘩も、快心の勝利の前には何事もなかったように吹き飛んでしまう。試合後は笑顔、笑顔に抱擁(全身汗まみれ)。あぁ、サッカーって素晴らしい。
話のついでである。試合中の口論はどういうものか。あくまで我がチームの場合であるが、他も大差ないであろう。今日はそれを紹介してみたい。
普段は大人しくても、ハンドルを握ると性格が豹変する人はあなたの周りにもいると思う。危険な乗り物に乗っている(命がかかっている)という緊張感がそうさせるのかもしれないが、一つのミスが即失点に繋がるディフェンス陣にも似たようなところがある。もちろん、些細なことで切れまくっていては、ディフェンスはおろか、健全な日常生活を営むにも難儀していると思うので、彼らは調査対象から外す。
一番多いパターンがマークのズレだ。攻撃する方は相手のマークをずらすように攻めてくるため、ある意味仕方ないだが、中には本当にぼんやりしてマークをはずしている者も出てくる。ボールウォッチャーになっていて、簡単に裏をとられる。つり出されて、スペースを空ける。これらは例外なく、疲労が増してくる終盤以降に多い。交通事故と同じく、ぼーっとした一瞬の隙、魔が差した一瞬の隙ににやられるのだ。この1回のミスが、失点に結びついてしまったときの精神的ショックがいかに大きいかは想像できよう。
もっとも、ミスが明らかな場合は口論とまではいかない。厳しい叱責が飛ぶだけだ。厄介なのは、お互いが正しいと思ってプレーをしていた場合。とりわけ、DF、MF、FWと分かれるこれらのポジション間の言い合いは激しい(逆に言うと、同じポジション同士の結束は堅い)。
たとえば2列目からの飛び出しを止められず次々にシュートを打たれる。DFには「何回同じことやられているんだ」と罵声が飛ぶが、DFにも言い分がある。「ボランチが最後までついてきてくれないと対処しようがないだろう!」
ディフェンスからのビルドアップ時に、中盤が顔を出さないためパスコースがなく、彼は囲まれボールを奪われた。MF陣に文句を言うが、彼らも黙ってはいない。「FWにはフォローが遅いと言われるし、俺らは道具じゃないぞ。おまえらいい加減にしろよ」
まだまだ続く。FW「DFはもっとラインをあげろよ」DF「そんなにすぐボール失ってちゃ、上げる暇もないし、それ以前に怖くてあげられるわけないだろ」
ピッチ上では往々にしてこんな言い合いがなされている。もちろん、勝っているときはあまり出ない。チームがうまく機能してないということはやはり問題があるわけで、それは特定の個人がどうこうと言うよりも、全てが有機的に絡んでいるのだ。勝ちたいという思いは誰にでもある。しかも、ピッチ上では常にアドレナリン全開のハイテンション状態だ。感情むき出しのストレートな物言いになるのはある意味必然といえるだろう。
話は最初に戻る。前回の神戸戦。ディフェンダー陣は、時間稼ぎをしなかったどころか、中途半端に攻め、そして安易にボールを失ったフォワード陣をかなり責めたと推測される。これに対するフォワード陣の反論もあったはずだ。そして、反町監督はといえば、「やるべきことを徹底して出来なかった私の責任である」と全面的に責任を背負った。
すっきり勝って、そんな嫌なムードを一掃したかった天皇杯草津戦も、少なくともサポーター的には、スッキリどころか、モヤモヤ感が増加する嫌な展開(苦笑)。そんな中、僕は、千葉とガンバ大阪の間で行われたナビスコカップ決勝をテレビで見ていた。スコアレスドローながら、手に汗握るなんという熱い試合。満員の国立という舞台に加え、この試合展開では、選手も集中力を切らすことはないだろう。プレーヤーとしても最高に緊張し、プレー中も最高に興奮するゲームだ。そして、ご存じの通り、試合は千葉が見事勝利し、歓喜の輪に包まれた。
しかし、皆さん。よそ様の幸せを、ただ指をくわえて見ていることはないぞ。今週末の柏戦は新潟的にナビスコの準決勝ぐらい(おい)に値する大事な試合だ。僕がフルサッカーでのプレーが好きなのは、90分の試合時間の中に、ゲームの流れという浮き沈み、言い争い、そして同じ苦しい時間を共有した後に待っている歓喜が待っていて、そうした一連の人間臭いドラマが何事にも代え難い魅力だからだ。柏戦、勝利の暁には、苦しい期間が長かった分の歓喜が待っていよう。それはサポーターもしかりである。そして、こんなところもサッカーの大きな魅力なのだ。
2005年11月7日 浅妻 信
PROFILE of 浅妻 信
あさつま まこと 1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。