その4 「伝説のボード」

ヘタレそうになりながらも止まっているトラックにはとりあえず声をかけ続けてみる。やはり水曜日に大阪に替えるトラックは見つからない。脳裏にドロップアウトが滲み始めた。というか体力も限界である。いつの間にか一端帰宅していた。とりあえず休もう。朝4時半過ぎ国分寺就寝。

不思議と目覚まし時計をセットしたわけでもないのに8時ジャストに起床する。(ちなみに僕は遅刻魔である。平気で寝坊するサイテーな奴)起きた瞬間なぜか悔しいと思った。何か負けみたいだ。負けは嫌だ。とりあえず大阪に行くしかない。しかし金はない。そうだ!東名道入り口でヒッチハイクしたらいいんじゃね?我ながら素晴らしいひらめき。そうと決めるとそこには一点の迷いもなかった(迷えよ)

バイトを体調不良で休み(最低)電車に乗って最寄り駅の用賀駅に向かう。4月13日(水)AM9:30、試合当日の朝に用賀駅到着である。徒歩10分のところにある東名道入り口に向かう。到着してまず最初に感じた事:夜と違ってリアルに馬鹿すぎる。恥ずかしすぎる。。。ううう しばし葛藤する。いやダメだ。ここまで来たのになにやってんだオレ。やる。オレはやる。

環8から東名道に入る側道脇のマクドナルド、ドライブスルーで買い終えた客を捕まえて「今から東名のりませんか?」30台は声かけた。そばの自動販売機の補充に来ていた伊藤園のお兄さんにダンボールをいただく。ダンボールをもらったはいいが準備が悪く、サインペンしかもっていなかった。大阪と縁取りし塗り始めたものの、なんせ時間がない。とにかく西へ進まなきゃならない。焦る。大の文字を塗り終えたところで伝説のボードを掲げヒッチハイク開始する。一台も止まらないどころかこっちを見てくれない。泣きそうだ。そんな時「ちみヒッチハイクしてんの?」とやさしそうなお兄さんが声をかけてきた。なんとそのお兄さんはヒッチハイク経験者だそうだ!!え~いるんだそんなヒト!

ヒッチハイク先は小千谷、中越地震のボランティアだったそうだ。「そうか新潟出身なんだ」かれこれ30分以上話した後「絶対止まってくれるよ!」そう言い残し彼は笑顔で去っていった。お名前も聞いてなかったが別れ際に中越地震のボランティアバッチまでいただいた。世の中は広いようで狭いかもしれない。こんなやり取りも旅のいいところ。

ふと現実に戻る。時間がない。友人になかなか止まってくれない事を嘆きながらメールしていたとき、用賀に来て初めて1台のトラックが止まる!やった!と思ったのもつかの間、残念ながら園トラックは横浜で降りるそうだ。大阪は遠い。

11:00を過ぎる。ダメだ。キックオフの19:00に間に合わね~!そんなとき通り過ぎていくトラックのお兄ちゃん(あきらかにイケイケ系兄ちゃん)と目が合った。最初はスピードが落ちなかったから無理かな、、、と思っていたら、いきなり急ブレーキで止まった(笑)ダッシュでトラックのところに行く。「早く乗れ!」とりあえず乗る。(今思えば後続車が詰まっていた)「どこまで行きたいんだ?」「大阪です」「無理。厚木まで行くから海老名SAで降りろ。あそこは長距離が止まってるから、そこで探せ」「はい、ありがとうございます」

一瞬の出来事で何がなんだかわからなかったが、生まれて初めてのヒッチハイクに成功していたのだった。ちょびっとだけ大阪に近づいた。

つづく


2005年7月24日(日) Vol.4 18節大分トリニータ戦号 「Zのヒッチハイク日誌」

なんと当日11時過ぎでようやく海老名!
おそ!!!!
これで大阪に間に合うのが凄い!
(Albiway編集部)