ようやくアウェイゲームで勝利した。気づけば、こりゃ無理だと諦めていたナビスコ決勝トーナメント進出も可能性は少なからずあるようで、とたん、星勘定、得失点差勘定に走るのも情けないものであるが、泣いても笑って
も最後の試合。他会場の結果を気にすることなく、思い切り攻撃的に、どん欲にゴールに向かっていって欲しいと思う次第だ。運が良ければ道は開けるだろう。うん。
そんな、ナビスコ神戸戦のあった日。僕は地元FM局のある番組で、ある元Jリーガーと一緒する機会を得ていた。その元選手の名は鳴尾直軌。現在はアルビレックスの普及部に在籍している(平たく言えばスクールコーチ)。
新潟スタジアム以降にサポーターになった人の中には彼のことをよく知らない人もいるかもしれないが、彼こそが当時の新潟のスター選手であった。FWという花形ポジションに加え、2000年にはJ2リーグ日本人得点王(17点)に輝いた実力、さらに彼の場合は、爽やかな甘いマスクがあった。当時から女性の人気を独り占めしていたが(ちなみに男は木澤だ)、現在のチームにいたら、どれほどのナルギャルが練習場を訪れていたかと思うと、スタッフでなくても大変恐ろしい。余談だが、岩手県出身の彼は、山形で選手としてのキャリアをスタートさせると、その後、ソニー仙台、新潟、磐田、広島と徐々に南下政策をとり、ついには鳥栖に移籍。日本地図を睨んでこれ以上の南下は無理と判断したのか、昨年惜しまれながら引退した。
番組では、必然、浦和戦での連続ハットトリックの話にも及んだが、
「(ハットトリックは)たまたま運が良かっただけ」
「小野はやはりうまいなぁ、と見惚れていた」
と、相変わらずのいい人モード全開のコメントを連発していたのが、飾らないイケメンの鳴尾らしく、微笑ましかった。
99年からのサポーターにとっては、本当に今の新潟でプレーさせてやりたかったなぁ、と思う。彼のゴールを大観衆の声援で包んであげたかった。J屈指の専用練習場を備え、毎試合4万人の大観衆で埋まるワールドカップスタジアムをホームゲームに使用する現在のチームは、公共の土グラウンドを日替わりで使用し、数千人のサポーターの前で試合をしていたかつてのチームとは、根っこの部分は同じでも、随分様変わりをした。練習環境や、より高いレベルでのプレーを求めて、毎年主力選手が新潟を後にしたが、それはサポーターの目から見ても致し方ないと思わざるを得なかったのだ。現在のチームでかつての新潟、つまるところ鳴尾を知る選手といえば、木寺、直樹、慎吾、寺川、野沢、勲の6名。ちなみに、伝説の浦和戦は野沢をのぞく、全員がスタメンだった。この試合のビデオはまさに家宝である。
話を再び鳴尾に戻そう。現在普及部にいる彼だが、将来の夢を聞くとやはり指導者だという。国立大学院修了のインテリジェンスと、Jリーガーとして、栄光だけでなくそれ以上の多くの苦労をしてきた彼のこと、素晴らしい指導者になるだろう。S級のライセンスを取得するには、まずB級の試験でかなり優秀な成績を修めなくてはならない(事実上の足切りが行われる)などの興味深い話も聞けたが、どこのクラブで指揮を執ってみたいか?という極めて俗なナビゲーターの質問に対しては、リップサービスもあっただろうが、新潟と答える彼であった。
「何面もコートがある立派な専用練習場があり、スタジアムにも沢山のお客さんが入る。シンガポールを筆頭とする下部組織も充実している。これは、やり甲斐がありますよ」
この日の神戸戦でトップデビューを果たした河原は年代別の日本代表にも選出されている期待のホープである。特に身体能力が高いわけでも、体全体から凄みのあるオーラが漂っているわけでもないが、練習試合等のスタッツを見る限り、点を取りまくっている。実際大成する選手というのは、往々にしてそういうものだから、僕も大変期待しているのだが、いずれにせよ、ちょっと前の新潟なら門前払いを食らったはずの選手が獲得できているわけである。そんな彼も、先日のテレビ番組のインタビューで鳴尾と同じようなことを言っていたのは感慨深い。
思えば、私事で恐縮だが、サッカースクールにおける僕の息子のコーチは鳴尾である。99年当時の感覚で言えば、エトオ(FCバルセロナ)がコーチしてくれているようなものだ(ごめん、さすがに言い過ぎだ)。また、今はクラスが変わったが、現在トップチームにいる某選手のお子さんとも同じクラスで、仲良くプレーしていた。こういう光景を見ると、つくづく新潟も変わったよなぁと思ってしまう。Jリーグ百年構想という壮大なスローガンを、身をもって体験、実感しているのは、なんといっても僕らが一番なのだ。
2005年6月6日 浅妻 信
PROFILE of 浅妻 信
あさつま まこと 1968年生まれ。新潟市出身。新潟高校卒業後、関西で長い学生時代を過ごす。アルビレックスとの出会いは99年のJ2リーグ開幕戦から。以来、サッカーの魅力にとりつかれ、現在に至る。2002年、サポーターのみでゼロから作り上げたサポーターズCD「FEEEVER!!」をプロデュースして話題に。現在もラジオのコメンテーターだけでなく、自ら代表を務める新潟県社会人リーグ所属ASジャミネイロの現役選手としてフィールドに立つなど多方面で活躍中。