ワールドカップも終わり、ついにJリーグが再開!
中断明けのセレッソ戦が目前に迫る今、ここで一度いくつかに分けて、紆余曲折あった前半戦を振り返ってみたいと思います。
まず初回はシーズン全体を通して。キーワードは「最強の武器を取り戻す戦い」
さて、まず今年の序盤は結果的にも、内容的にも非常に苦しみました。特に得点力不足は深刻で、1点→1点と来て、その後怒涛の4試合ノーゴール。この原因はなんだったのか?
これは非常に多くの理由があり、かつそれが複合的に関係しあって生まれた結果だったと思うので、その原因を挙げ出したらキリがないでしょう。
ただ、一つ大きな原因を挙げるならば、「効果的なカウンターを生み出すための守備の拙さ」という点は絶対に外せない要素だと思います。
言うまでもなく、反町時代5年間と鈴木淳時代4年間に渡り、新潟の大きな武器として君臨してきたのは「必殺の速攻を生みだすための、アグレッシヴで整理された守備」でした。
ファビーニョの突破には丸山や秋葉の献身があり、エジミウソンの突破には優作や寺川の献身があり、ペドロの突破には松下や勲の献身があったのです。
特にJ1で「あくまで能動的に」戦える力を蓄えた鈴木淳時代の基本は、前からの献身的、連動的、そして積極的な守備をこちらから仕掛け、そうやって奪ったボールを出来るだけ速く、効果的に運んでゴールを狙うという形でした。
お金を掛けて圧倒的な個の力を買う事が出来ないチームにあって、組織で戦うこのスタイルこそが「新潟のサッカー」だったわけです。
しかし今年は開幕から、その要素が希薄だったと思います。
特に顕著だったのは、後ろに過剰に人数を掛けて(守備の人員を余らせて)守ってしまうため、前から積極的に組織立って守るための人数を割けないという点。
その結果、ボールを奪う位置が下がってしまい、そこからのカウンターを仕掛けようにも、いかんせん相手ゴールから遠いので、相手がその間に守備組織を整えてしまい攻撃が手詰まりになってしまう、という形が頻発。
また、仮に前線の選手が孤軍奮闘して高い位置でボールを奪っても、元々後ろに集まってしまっている選手たちが、奪ったボールをフォローするために走ってくる間に、またしても相手の守備が整ってしまう・・・という悪循環に陥っていたのではないでしょうか。
つづく