本間勲が高卒ルーキーとして右ハーフでデビューする前の年。
J2初年度に同じポジションでプレーしていた選手は36試合中35試合出場した水越潤だった。
J2に加盟し、新潟がJリーグチームになった年。
それが99年だった。
全く新しく始まるリーグ。
さっぱりわからない相手。それどころか自分のチームも良くわかんない。(チームは大量入れ替え&サポーターはニワカが大半w)
多くの人にとって「基準」となった年だと思う。
チームで一番目立った選手がサイドバックの木澤。
次がボランチの瀬戸&センターバックのセルジオ。次が鳴尾、シンゴ、リカルド、サウロ、、、と続いて左バックの中野圭一郎とセットで最後に覚えた選手が水越だった。
今で言うと松下の献身さと勲や内田の地味さをあわせたような選手。それが水越。
この年の攻撃はリカルドのスルーパスに右SB木澤がオーバーラップであわせるって形が一番花形だったんだけど、これが決まったのは水越が相手のサイドバックのマークを引き連れて中でプレーをしていたからだし、その木澤のカバーを水越がしていたから。
当時のサポーター観戦ガイドも合わせて参照の事。
(1999年11月19日 ガイド(#8筒井、#17鈴木、#18島田、#23長谷川)、まとめを追加。)
GK #1 木寺 浩...
99年 35試合出場(全36試合)
その年に水越が解雇された時は本当に悲しかった。
水越はまだ現役なのか。
すげーな。
コメント
水越に関してはこちらの記事もどうぞ。
・Jリーグキャリアサポートセンター・OBリレーインタビュー(2009年8月)
「水越 潤」
http://www.j-league.or.jp/csc/column/column_mizukoshi.html
本職は「ヴィッセル神戸 U-12コーチ」。
http://www.vissel-kobe.co.jp/junior_team/s_mizukoshi.html
> チームで一番目立った選手がサイドバックの木澤。
> 次がボランチの瀬戸&センターバックのセルジオ。次が鳴尾、シンゴ、リカルド、サウロ、、、
秋葉がサウロより後なんだ(へぇ)?
「元アトランタオリンピック代表」が新潟でプロ選手をすること自体が信じられなかったなぁ。
秋葉よりサウロが先なのは、秋葉がシーズン途中で加入したからじゃないかな。
記憶が正しければ。
秋葉の地味なプレーを最初に見る人はよほど肩書きをのみを見る人だけでしょう。
サウロの方が明らかに素人受けする選手でしたよ。
これは間違いない。
普通にゲームからみたらそうじゃね?って意味。
まぁ人それぞれですけどね。
> よほど肩書きをのみを見る人
図星。
その頃の俺は、書店にスポーツ雑誌のコーナーがあることすら知らなかったからねぇ。サッカー雑誌を、どんな内容なのか知りたくて1冊ずつ全部(ストライカーDXやサッカーaiも!)買ったのを思い出すよw